しま爺言葉の辞典 ★ わ ★ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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“わ”といえば昔の日本の名前です。


中国(三國志・魏志)などでは“倭”の文字を使っています。


しかし、これはどう見ても中華思想の臭いがプンプンします。

中華思想とは簡単に言えば、中国こそが世界の中心であり、それ以外は動物並みというものです(やや言い過ぎ?)。


東夷西戎南蛮北狄。


この言葉が、端的にそれを表しています。

日本は、東海の中にある倭(小さい・ひ弱な)人が住む国なわけです。


つまり、てんで相手にしてもらえませんでした。


それを知っていた聖徳太子が、時の中国皇帝に喧嘩を売るような手紙を書きます。

“日出るところの天子、日沈むところの天子に……”とかいうやつがそれです。

当時の力関係からすると、日本国王(?)が、日本や朝鮮半島あたりの監督として認められただけで御の字なのに、肩を並べたような手紙を送ったわけです。


まあ、破り棄てられて終わりだったでしょう。いや、そんな礼儀を逸した手紙は、皇帝の目には触れさせなかったに違いありません。




誰が【日本】という名前を付けたのかは分かりません。

しかし、死後しばらくして、聖徳太子と呼ばれた貴族が発案した可能性も高そうです。



“倭”については“輪”という意味を持つ古代日本語を中国人が聞いて“倭”にしたなどの説があります。


これに関しては、私はさっぱり見当がつきません。



3世紀の日本には、まだ国という概念がなく、中国人が単に“倭”と小馬鹿にした名前をつけた、と思ったりもしています。

ただ不思議なのは、当時の中国には珍しく、この東夷の一部族“倭人”に対して、大変好意的な記述をしているばかりか、非常に長く詳しい説明(とは言っても、週刊誌1ページ未満)をしていることです。



特に三國志の中の記事は、『魏志倭人伝』などというあだ名をつけられて、義務教育の教科書にも載っています(あだ名の方が知られている)。


ここの女王の名前が“卑弥呼”だ、という説を当然のように載せており、また試験にも出題されたりします。


が、古代のみならず、現代の感覚で考えても、“卑弥呼”が女王の名前であるはずがありません。


例えば、あなたは現在の天皇陛下や昭和天皇のお名前を、自国の紹介をする時に使いますか?


いや、天皇陛下ではなくとも、わりと最近まで、日本では本名を使う習慣はありませんでした。


こうしたことも考えずに、ただ詰め込みする教えはどうなのでしょうかね。


嘆いても、どうもならないですが。


天智天皇にしろ、聖徳太子にしろ、あるいは藤原鎌足にしろ、墓の下で


『そりゃ、誰のことだあ?』

って、言ってますよ。
きっと。




ましてや、大国主命なんて言ったら、旧日本人の族長がどっと手を挙げるか、知らんぷりしますなぁ。





なお、自分のことを“わたし”とか“われ”、あるいは“おれ”と言いますが、これらの言葉は中国語、あるいは満州語のなまりのように思えます。