つまり、日本や中国、東南アジア、インドなどを除く世界中の国々で、神に近い存在として有名な人物が、“も”で始まる名前の持ち主です。
もうお分かりの方も多いことでしょう。
はい、その名は“もも”ちゃんです。
はっ、失礼しました。
最初からずっこけてしまいましたか?
はい、史実うんぬんは危ない方向になりますから置いておきましょう。
かつて、ハリウッドが隠しに隠して制作した、20世紀を代表する映画の一つ『十戒』の主人公、日本語でモーゼが、そのお方です。
ご存知の方には、常識以前の話でしょうが、モーゼについて簡単に説明しましょう。
今から約3300年くらい昔のエジプト。
当時、メソポタミア(今のイラク付近)から移民してきたヘブライの民(正しくは間違いですが、以後、ユダヤという言葉を使わせていただきたす。ヘブライ教信者の方、ごめんなさい)は、エジプト人の奴隷として苦しい毎日を送っていました。
とにかく、ユダヤの子どもは生まれても、殺さなければならない法律さえあったと“聖書(キリスト教では、旧約聖書)”に書かれているようです。
モーゼも、本当は生まれてすぐに殺される運命でした。
が、姉のミリアム(マリアの原型との説あり)が、王女の目の止まるような工夫をして、無事モーゼはユダヤ人でありながら、王族として育てられます(ここでも、後に反目しあう姉ミリアムの機転で、実の母が乳母となります)。
しかし、長じてモーゼのユダヤ人の血が、エジプトの圧政に苦しむ同族をエジプトから解放する行動に駆り立てたのでした。
このモーゼに率いられてエジプトを脱出前後を、ヘブライ語でペサハ、英語では“エクソダス”、日本語では“過ぎ越し”などと呼んでいます。
“過ぎ越し祭(エジプト脱出前に神の災いを過ぎ越したことを記念する)”は、ユダヤ教の祭のなかでも、最も歴史があり(最低3000年)重要なものです。
この祭は、日本の大晦日から正月の風習に、寒気を覚えるほどの共通点があります。
が、今回は割愛しましょう。
さて、モーゼですが、ミケランジェロの作品などを見ると、角のようなものが生えています。
(須佐之男命に似ている)
が、これはヘブライ語を読み違えたことによるものだ、と言われています。
モーゼは、ヘブライ語ではモーセに近い音で、最後の綴りに神聖音文字h(ヘブライ語は、英語のアルファベットとは全く違うため、これは英語化した場合の文字)を付すと、モシャ(油を注がれること)になります。
キリスト教徒の方なら、“油を注がれる”、という意味の重要性がお分かりなのではないでしょうか。
“油を注がれる”とは、王になることを意味します。
事実、モシャの類似語に“メシア”があります。
キリスト教徒の方でなくとも、“メシア”の意味をご存知ではないでしょうか。
キリスト教徒の方が“イエス=?キリスト”と呼んでいる“神”のことです。
また、モーセには“救いあげられた”という意味もあるようです(これは確認出来ませんでしたが)。
ナイル川で王女に“救いあげられた”ことをかけているのでしょうか。
なお、昔日本には、殿様の子どもを敢えて城の外に捨て、これを拾い上げるという風習があったようです。
モーゼに絡む話は、どこまでも尽きません。
旧約聖書を読めば読むほど、神道の儀式のみならず、そこで使われる祭事品、建築物の配置など、へたなSF小説より、はるかに興味深いものがあることが分かってきます。
いや、いけませんね。
神聖なる書物に対して、興味深いなどという表現は。
そういえば、日本語でも、屈強な男をモシャ(猛者:もさ)と言いましたなあ。
はあ?
へんですか?
ええ、おっしゃる通り。
猛者は、中国からの輸入言葉。
モーゼとは関係がないようで。
★私が見た絵の中で、最も恐ろしかったもの。というより、絵を見て恐怖感を覚えたのは、これを除いて無い。
ST.JOHN THE BAPTIST
1513-1516
Louvre/Paris
Leonald da vinci
『モナリザ』と呼ばれている、世界一高価な絵(展示されているものが本物ならば)の少し右にある。
この絵が目に飛び込んできたときの戦慄は、1秒前のことくらいに、鮮明に思い出すことができる。
ロンドン・ナショナルギャラリーの『岩窟の聖母』と同じくらい、印象深い絵だ。
