現在の意味は、字の如く“たいへん少ない。稀だ”というものだ。
が、中学校の古文で習ったように、平安時代あたりの“めずらし”は“めづらし”のことで、“愛づらし”のことだった。
で、はたと思った。
“愛づらし”いものが少なくなったので、いつのまにか“めづらし”が“珍し”くなったのだと。
★これは、ギャグのようなもの、まあ、皮肉です。
真面目に受け取らないでくださいよ。
さて、では、ここからが本題(ずいぶん長い前置きでしたが)。
世界初の、国特別推薦性教育図書でもある『古事記』には、イザナギ・イザナミの男女神が“みとのまぐあひ”をする場面で、イザナミ(女性神)が“吾が身は成り成りて、成り合はざる処一処あり”と言えば、イザナギ(男性神)が、“吾が身は成り成りて、成り余れる処一処あり”と言い、その後でイザナギは、『あなたの凹んでいる処を、俺の凸っぱりで塞いでみようか』となる。
一方、かつての国定教科書である『日本書紀』では、凹部分を“めの始まり”とし、凸部分を“をの始まり”としています。
つまり、“め”とは女を意味するわけです。
何度か似たことを記事にしましたが、m音は世界中の言語で新旧を問わず“女性”に関連の深い言葉なのです。
これは、初めに食事(おっぱい)を与えてくれる対象だからでしょう。
umauma とおっぱいを吸う。
だから、ンマ、ンマはそれを与えてくれる母、つまりママになるわけです(日本語では、ンマンマがそのまま、食事を意味する)。
メリーさんもマリアさんも、この流れを組むものかも知れません。
“め”が女性を意味することは、現在でも同じです。
…………………………
★★ここからは、言葉遊び
まあ、だじゃれレベルですから、笑いながらよむこと。
真剣に考えるほどのものではありません。
“め”のつく現代の日本語
めす(

をとめ(をと=年下の)
はしため
そばめ
やめ(八女)
めしべ(

めい(姪:い=近親の子:しま爺説

こめ(米=kao mei(インドシナ語)=母なる食べ物:しま爺説)
ひめ(姫:hiは畏怖・神聖なものに対する接頭語:しま爺説)
かめ(甕=凹みあるもの、か=覆い・入れ物:しま爺説)
なめらか(な=女、め=女→女のごとく:しま爺説)
ぬめり(ぬ=年のいった女、め=女→湿り気のある:しま爺説)
はめ(は=塞ぐ→隙間を埋める:しま爺説)
まめ(豆→注:この“め”は女ではなく、“目”)
よめ(嫁)
んめぇ(素晴らしい女性への感嘆詞:しま爺説)
むすめ(

メランコリーのメも同じかなあ。
だったら、メランコリーは男だけしか抱かない妄想だわな。
と、最後はいつもの如く脱線してしまいました。

MONA LISA
1503~
Louvre/Paris
Leonard da Vinci