いやあ、島さん、最近よく郵便局をご利用のようで。
N氏が吊り上がった目を、いつもに増して細長く伸ばして言った。
げっ!
この人、公安より手強いかも知れない。
私は、「へへへ」と間の抜けた作り笑いをしながら、凍り付きそうな胸の内を隠した。
当時、私の勤めていた会社は、世界に何ヵ所かの工場や事務所を持っていたとはいえ、まだまだヨチヨチ歩きの多国籍企業であり、中国進出に関して指導をいただいているS商事のような企業からすれば、我が社などその企業の1部門、いや、1課程度の規模でしかなかった。
だから、S商事上海駐在員のN氏には、我が社の役員クラスでも一目をおかざるを得なかった。
N氏は、S商事の主任クラスでしかなかったのにも拘らずである。
当時の上海は、情報に関するインフラがほとんどなく、FAX1枚の送受信さえ、この企業のお世話にならざるを得なかったのである。
が、このN氏、なかなかの曲者で、本社からの至急連絡も2、3日放置されるありさま。
業を煮やした私は、S商事を介さずに、本社との直接情報交換(正しくは、送信のみ)を試みたのである。
中国からの電信は、ミシン穴リボンを使う。
若い方には理解できないだろう。
実は、私自身、上海に来て初めて出くわしたものだ。
郵便局の専用タイプライターにリボンを入れ、これにタイプで穴を開けていく。
穴の空いたリボンを局員に渡すと、リボンの長さに応じて、料金を払うのである。
だから、単語は出来るだけ短くして支払い料金を下げる。
今でも、よくASAPS(as soon as possibleの短縮:できる限り早く)なる表記をみるが、これはそうした時代の名残りだろう。
私がS商事に不信感を覚え、独自に動き出したようだ。
これが、N氏には気に入らなかったのであろう。
公安に尾行されたり、封書が開封されたり、電話が盗聴されたりは、外国だからと気にはならなかったが、同じ日本人に見られているのは、いささか気色が悪かった。
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これはフィクションであり、登場人物、企業などは、実在するものとは関係がありません。