その日の夜 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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その日は、午前9時には35℃を越えていたが、朝から張り詰めた空気が私たちを覆っていた。

午後8時に、Hltnホテル4階の会議室に、日本人は全員集合との知らせがあったからだ。

本社の常務も、その時刻には、わざわざ成田からやってくるという。


私は同期のYとともに、そのホテル26階にある、あの疑惑で有名になった方と縁のあるレストランで軽い夕食をとり、その時刻を待った。



A常務の顔が見えた。
この人は厳しいことで有名だ。
私の上海時代には、香港総経理(香港事務所社長)をやられており、上海支店を統括していたから、かつては直属の上司でもあった。

常務の顔は、いつもに増して固かった。
が、私を見つけると「おっ、元気でやってますかな?」と言って、ポンと肩を叩いた。


常務は仕事には厳しいが、フォローも人並み外れていた。

私が上海で地獄の駐在を終えた時には、かなりのクラスの社長でも入ることが難しい、香港競馬クラブのVIPルームで遊ばせてくれたり、帰りの便はファーストクラスにしてくれたりもしていた。



私たちは、予約されていたHltn会議室に入る。
会議室とは言っても、実は会議室のある部屋なのだが。





常務が、ゆっくりと話した。

これから話すことは、1ヶ月は内密にする必要がある。
諸君も、報道公開されるまでは、今まで通りに仕事に励んで欲しい。



さて、おおよその見当はついていると思うが、例の話が潰れたこと、これに関わった外注への補償、さらに莫大な裁判費用などにより、本体自体が危ないことになってきた。
さらに追い討ちをかけるように、ドルが180円を切るという事態になっている。

これを回避するために、我が社は……。






中略。





99年というのは、絶望的な数字です。もはや我が社に北米販売の道がなくなった、ということですか?


誰かが聞いた。





(中略)



いや、あなた達の退職は認めない。
北米での利益が見込まなくなった今、生き伸びる道は、アジアにしかない。

ヨーロッパは、政策上の拠点であり、すぐに利益を生むことが目的ではないからだ。


だから、君たちには、残ってもらわなければ困る。

いや、残ってもらう。




この方針が嫌で辞めたいというならば、それなりの覚悟を持って辞表を出しなさい。




夜10時。

オーチャードロードから少し外れた、高台にあるそのホテルから、南十字星が、ゆっくりと昇ってくるのが見えた。






Glnにでも行こうか?



私は、Yに語りかけていた。






これは、フィクションであり、登場する人物等は実在するものとは関係がありません。