W先輩の話 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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彼らがやって来たのは、約100億円相当の商談のためだ。

彼らの世界では、まだ契約書が取り交わされていないから、単なる視察レベルでしかなかった。

が、日本人の経営者たちは、ある部下の話から、契約が成立していると思っていた。
確かに、ある役員は相手会社の営業部長から、「頼みますよ」という言質を得ていた。

だから、日本人がオーナーのその会社は、すでに生産を開始し始めていたのである。


セールスマネージャークラスが東京にやって来たのは、日本人が口約束数量(これは、新入社員に毛が生えた程度の私でさえ、?マークをつける数量だった)の七割方を作り終えた頃だった。


彼らは、本社の役員会議室に入ると、靴を履いたまま、両足をテーブルの上に投げ出した。

日本人役員連中が苦笑する。



と、技術担当のWさんが噛み付いた。


「なんだ。その態度は!」

世界的にもトップの座にある、そのハンバーガーショップのアメリカ人たちは、奇声をあげた黄色い猿を、好奇の目で見たが、一瞥しただけで、テーブルの上に置かれた足を組み換えた。


役員連中の顔が青ざめ、鋭い視線となってWさんを突き刺した。




結局、契約書のなかった話は消え失せ、裁判にも負けたこの日本人オーナー会社は、創立以来の危機を招いた。


だからというわけではないが、私はいまだにあの店には自らは入らない。

おかげで何千人が涙を飲んだことか。







2年ほど前に、今の会社でばったりW先輩に会った。

お互い、本来の会社から離れてしまったが、気分は昔のままだ。



あの時は、私はシンガポールの生産担当をしていた。


が、切れ者の上司の意図があり、国内の生産が半分を超える頃にさえ、まだテスト生産も始まっていなかった。

結果的に、これは会社の損失をかなり軽減したのだが、当時者の私には、日本の生産との比較を聞かされる度につらかった。


が、後になり、その上司がいかに優れていたかを知ったのである。

この上司は、後に役員になった。


が、大切なお客様(結果的には詐欺師に近いものになったが)に対して、暴言(正論)を吐いたWさんの名誉が回復することはなかった。





契約書も取り交わさずに、会社の命運を分けた御方は、安泰のままである。






しかし、その会社も、ある分野においては、世界屈指の存在だ。



というのは、あの事件の後、今度は濡れ手で粟の実入りがあったりしたからでもある。




まあ、あまり詳しくは言えないが、人生万事塞王が馬、に近いことがあったわけだ。





これはフィクションであり、登場する人物、会社などは架空のもの、ということにしておきましょう。