
“絶対……だ”という言葉がないのに似て、“……が一番だ”という言葉も、脇に追いやられています。
この辺がが優柔不断に見えるところであり、また、理系の頭から脱皮できない証拠でもあるのだろう。
だから、世界遺産などのように私の脳ミソを刺激して止まないものに、一番をつけるのは、大変困難なのだ。
と、ここまで書いて、ずいぶん言い訳を書いているぞと思ったが、話を続けよう。
さて、私は3年ほど昔、古代エジプト語の虜になった。
もとはと言えば、今から3000年くらい前のエジプト王で、おそらく史上最長の王朝を築き、エジプト史上最強と言ってよいラムセス2世を主人公とした小説クリスチャン・ジャックの『太陽の王ラムセス』を読んだのが始まりである。
私はSFや推理小説などはよく読んだが、伝記やら歴史的は大の苦手だった。おそらくこれは、小さい頃に、興味もないのに偉人伝記なるものを読まされ、その読書感想文を無理やり書かされたことと、無関係ではあるまい。
さて、この『太陽の王ラムセス』だが、1ページ読んだところから止まらなくなった。
原作はもちろん、和訳が素晴らしいかったからだろう。
確か5部作だと思ったが、1巻はあっという間、2時間程度で読み終え、2巻を探しあてるまでの次の休みまで、私は禁断症状のようなイラつきを覚えたものだ。
なぜ、それほどに熱くなってしまったかには訳がある。
古代エジプトの考え方が、あまりに日本的、誤解される表現をあえて使えば、たいへん神道的だったからである。
かつ、それまで食わず嫌いであった外国歴史小説に、やっと興味が湧く年齢になってきたからかもしれない。
とにかく、面白い小説だった。
その後、しばらく私はクリスチャン・ジャック作品を漁ることになる。
そんな時、図書館で古代エジプト語の本が目に止まった。
単なる絵にしか見えなかったものが“文字”に見えるまでには、それほど時間がかからなかった。
そこでまた、例の本を読む。
それまで気付かなかったものが見えてくる。
それからの私は、危ない爺さんである。
満員電車のなかで、古代エジプト語の文字(ヒエログリフという)や、ヘブライ語だのアラム語だの、あるいはシュメール文字だのを書き写したメモ帳とにらめっこだ。
おそらくあの時の私を、周りは奇人変人と見ていただろう(いや、これは今も同じかな?)。
そんな中で、アブシンベル神殿のことを知った。
エジプトにあるアブシンベル神殿は、世界遺産というものを創設するきっかけを作った遺跡である。
アスワンハイダムの建設で水没してしまう遺跡を残す為に、世界中の技術者が知恵を絞った。
今あるアブシンベル神殿は、従来の位置にあるものではない。
多くに分割され、水没しない丘に移して、再度組み立てられたものだ。
しかし、神殿の方角などは正確にコピーされ、いまなお、石の形と光と時を計算され尽くした、アブシンベル神殿の神秘は保たれている。


