
学生時代、文化祭で私は占星術師になったことがあります。
もちろん、三日前に買った占星術の本を読み、文化祭の時だけそれらしくなった、にわかエセ占星術師です。
これ、結構モテまして、お誘いなんかも受けましたが、なにせ根がウブですから、へんな見栄はって、なーんもしませんでしたなあ。
あーあ、もったいない。
とは、今だからこそ言えること。
実は私、学生時代はガチガチの硬派より、さらに上を行く“女嫌い”。
だったら、なぜ占星術師などという、どう考えても女の子が好きそうなものをしたんだ? とは聞かないのが武士の情け。
で、占星術で相手に話をする方の立場になった私が言うのもなんですが、占星術は全く信じていません。
これは簡単な計算をする間でもなく、星座などという、人間が勝手に決めた、地球から見える恒星の配置など、なんら意味がないからです。
また、惑星が直列しようが、その影響は、アメリカでしたくしゃみの音で、日本にいる誰かが飛び起きる程度の影響しかありません。
この計算は多少面倒ですが、とにかく惑星直列の影響より、月の毎月の遠近の方が、はるかに影響があります。
さらに、今見ている星座など、すぐに(とはいえ、何万年とかいう単位ですが)変わってしまい、全く違う形になってしまいます。
そんな占星術を信じない私でしたが、“すごい。当たってるわ~”とか、黄色い声や、妖しい瞳で見つめられたりしました。
じゃあ、なぜ当たったのか?
それは、占星術を信じず、相手を見て話したからです。多少占星術特有の言葉をちりばめながら。
占星術自体は、意味がないものと私は思っています。
が、占星術を使うことや、それを信じることは、大変意味のあることです。
最近はテレビでも、毎朝星占いなどをしているようです。
これを信じること、あるいはそれにより気分が変わることには、大きな意味があります。
ただし、盲目的に信じてしまうのはいただけません。
まあ、そんな方は、それほどいないとは思いますがね。
