と言いましても、アホ爺の私は、ただただ酒に酔っていただけ。
難しいことは、田舎の家を継いでくれている次男夫婦がやってくれてました。
わが弟ながら立派ですし、なんか偉くなってます。
うーん、しかし、わが大学の同級生のみならず、高校の同級生も、みんな偉くなってますなあ。
親戚一のアホ爺の私は、こういう時は、いささか肩身が狭い……のが普通だが、さにあらず。
ボケ一直線、進んでますぞ!
恥も外聞も捨てて。
しかし、親類筋からも言われてしまいましたが、“まさか、お前◎○組の組長とかやってねえべな。ほじゃなかったら、あんなお方から弔電こねえべや”なんて冷やかしを受けました。
まずい!
しま爺の裏の顔がバレるところだった。
うーん、今日は上手く逃げ切ったぜ。
なーんていうはずないわな。
でも、本当に、あん人たち、何勘違いしたかいな?
それとも……。
まっ、いいか。
母は、最期の時には神楽で送って欲しいと言っていたことを弟が思い出し、仏教ながら、近所の神楽保存会の方のご協力で、急遽神楽送りもできました。
この地方では牛車送りというものをします。
これを太鼓、鼓、笛で送るもので、けして極めて珍しいことではないとのこと。
でも、昔は無かったなあ。
私は初めて見ましたわい。
都会でも無かったよな。
とにかく、母は納得の上の黄泉入りだったようです。
まあ、母はとても私の及ばぬ人間でしたなあ。
もっとも、親父は、地平線の向こうの存在。私が嘘をつく必要がないほどの人物ですが。
っていう親を褒めてるわたしゃ、やっぱりアホやなあ。
