【解説1】ユカタンへ、そしてチチカカへ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ユーラシア中央の平原から、南北アメリカ大陸に広く生活するモンゴロイドは、今のモンゴル高原あたりに、生活の中心があったようです。 

もともと人類はアフリカで生まれたらしい。 
多分、類人猿のあるものが突然変異し、それまでにない形質を持つ原人類が生まれたのでしょうね。

ヒトは、よく知られているように、かつては四大文明と呼ばれた大河に発達したと言われていました。 

ちょっと復習してみますか?

チグリス・ユーフラテス両大河の間に開けたメソ・ポタミア文明、ナイル川流域のエジプト文明、インダス川中流のインダス文明、黄河中流の黄河文明ですよね。 

これらの文明の特徴は、単に大河の近くに開けたというだけではなく、乾燥地帯という共通点もあります。 
また、独自の文字を発展させていました。 

これらの文明の中で最も最初に開けたのは、メソ・ポタミア文明です。 

メソ・ポタミアとは、ギリシャ語のメソ(間)、ポタモス(川)という意味です。 
ところで、このメソ・ポタミア文明はエジプト、インダス、黄河のそれぞれに少なからぬ影響を与えているのですが、この文明を初めに築いたシュメール人の正体が不明なのです。 

高校あたりまでの教科書には、メソ・ポタミア文明の代表として“ハンムラビ法典”が載っいます。 
が、正しくはこれは誤りと言ってもおかしくないかも知れません。 
確かにハンムラビ法典はメソ・ポタミアで作られたものですが、これは初めにメソ・ポタミア文明を築き上げたシュメール人を征服、あるいは放逐した民族がシュメール人の文明を盗んで、文字も真似して作ったという考え方もできます。 
今ここに住む人たちは、大半がアラビア人、つまりセム族です。 

一方、文明の先駆者シュメール人は、日本語やモンゴル語、トルコ語とほとんど同じ言語構造を持つことなどから、私はモンゴロイドではなかったか?と考えています。 


また、これは象形文字ですから当然、あるいは似てあたり前ですが、かの地で使われていた楔形文字は、大変漢字に似ているものもあります(ただし、中国語は、日本語やモンゴル語と構造が異なり、むしろ英語に近い)。 



かつて地球が氷河期であった頃、ヒトはマンモスなどを狩猟していたらしいのですが、氷河期の終わりと共に、北上するマンモスを追ってヒトもまた北上した可能性もあり得ます。 

おそらく有史時代になってからは、日本には象はいなかったでしょう。 
しかし、キサ(象)という訓読みの日本語が存在することは、いろいろな夢をかきたててくれます。