
ああ、触れたくないネタだが、まあ、いいか。
これは、コンビニさんで調達いたしまする。
1:ニコチン中毒患者用特効薬
2:朝飯がわりのカロリーメイ○
3:食後のペットボトル紅茶(昼はコーヒーしか飲まないが、なぜか朝だけは“午後の紅○”)
ああ、なんとわびしいことでっしゃろ。
ところで、コンビニっていう言葉はすっかり定着し、立派な日本語として通用しています。
たぶん、他の国では通用しない日本語なんでしょうね。
ついでに言わせてもらえば、ファミレスなんていうのは、familyless なんてとんでもない勘違いもされる気がしますなあ。
しかし、考えようによっては、ホチキスとかメロンパンとかいう日本語は、なかなかうまい独自の言葉だなあ、と感心します。
ところで、私が小学生の頃、大陸に渡ったと思われる先生が“あっちではな、朝はおはようとは言わないんだ。「飯食ったか」が、朝の挨拶だ”とおっしゃっていました。
当時は笑い話と聞いていたのですが、これは決して冗談ではなかったのですね。
Nii zhao.
これは、国際化にともない自らを恥じて、新たに作られた挨拶の言葉のようです。
本来は、
Chii la ma ?
開国間もない頃、その国の大都市から2日かかる山奥に行った時、かの先生の言葉が、はっきりと目の前で形になりました。
2000年前の世界。
そんな言葉が、頭の中を駆け巡っていたのです。
今日本は、かつて人類が経験したことのない、人口構成社会へと進んでいます。
また、食糧自給率は先進国と呼ばれる国々の中では最悪と言ってよいでしょう。
それなのに、賞味期限を1分でも過ぎた食べ物は、惜しげもなく捨てられ、そうでなくても処理に困る廃棄物を増やしてもいます。
確かに法律上は、マニュアル上は、そうしなければならないでしょう。
が、誰のための法律なのか、マニュアルなのかに疑問が湧くこともあります。
自然に恵まれ、ほぼ単一民族、ほぼ単一言語、ほぼ単一宗教(日本流キリスト教や、日本流仏教などを含む)である日本は、本来契約社会ではありません。
なぜ、日本がこうした変化、変質をしていくのか?
これは最近特に話題となっている薬物の問題と同じく、大変奥深い何かを感じます。
が、私自身、まだ言葉にできるだけのところには、たどり着けていないようです。