この御印籠が目に入らぬか! | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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室町末期か江戸初期のことらしいが、水戸黄門こと光國が下野・湯津上村を訪れた時のことだ。 
(当然ながら、光國はテレビドラマのように全国行脚をしたりはしていない。茨城県と栃木県を行ったり来たりした程度であろう) 


ある時、地元の古老とヤマタのオロチに関して、侃々諤々の討論となったらしい。 

この古老の家の近くで光國は、小川の橋として架けられていた日本三大古碑のひとつ“那須国造碑”を発見。同時に、その石の近くあった小山が古墳であると知り、手厚く修復した。 

これが、小型ながら大変美しい“下侍塚古墳”(前方後円墳:国指定史跡)である。 


この那須地方には、大型の前方後円墳である上侍塚古墳をはじめ、多数の古墳が散在する。 

また、単独横穴としては珍しい国指定史跡“唐御所”もある。 
これには、平将門が生まれところとか、将門ゆかりの墓だ、などとの説があるようだ。



この“唐御所”と呼ばれる横穴の入口の形をどこかで見た記憶があるが、なんとも思いだせないでいる。 


この南の烏山町では、今なお、将門を祀るやまあげ祭りがあり、全国から好き者が集まってくる。



さて、水戸光國の行動範囲は、せいぜいこうした下野の農村部と地元水戸付近ぐらいであった。 


ところで、初めに触れた、いい年こいて天下の副将軍と口争いをした古老だが、最終的には光國の問いに答えられずに降参(?)する。 

この、世間でいう偉い人にも理論では引かないあほなDNAは、子孫にも受け継がれているやも知れない。



さて、この古老だが、理論の整理をしっかりしておけば、光國の質問にも答えられたはず。 


ちょっとばかり、片付けは苦手のようである。