
焼き肉もそうめんも、口に入ってしまえば、結局のところ同じようなものだ。
焼き肉にたんぱく質や脂肪が多く、そうめんは大半が炭水化物であり、のど越しの違いや、食後に胃のもたれ感が違うとはいえ、所詮食べ物さ、外見が違うだけだ、というひねた考え方もできるだろう。
話は変わるが、世の中には、外見がそっくりなものが存在する。
似ているというだけで、その相関関係を論ずるのは軽薄だ。
これは言語の世界も同じである。
例えば、日本語の糞(くそ)という音に似た汚物などを意味する言葉は、ドイツ語やイタリア語などにもあるし、kusに似た音は古代中東でも、古代エジプトでも、また古代日本でも、敵や異国人などに対する蔑称であるようにも思われる。が、果たしてこれの相関関係を考えることが意味のあることかどうかは、はなはだ難しい。
さて、下の2枚の写真を比べて見て欲しい。
一つは日本独自と思われるもの、もう一方は中東などで古代からあったものである。
ものには、偶然似た場合と、必然的に似たものがある。
コウモリや蝶の外見が小鳥に似ていても、これらには大きな違いがある。
神社の鳥居と祭壇、及びユダヤ教の祭壇。


前方後円墳の地形、及び中東の神器。


古代鏡、及びユダヤ教などの教典などが書かれた土器。

