Cat in the Rain | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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先週末のことである。 

私の尊敬するブロガーさんの一人、C-Mamaさんから、ある本を読んでみて感想を聞きたいわ、みたいな話があった。 


その本は、ヘミングウェイ著“Cat in the Rain(和訳:雨の中の猫)”という、数枚の短編である。 


私は文学、特に外国文学とは全くと言ってよいほど縁がない生活をしてきた。 
だから、外国文学を和訳で読んだもので記憶に残るのは、中2の時国語の教科書に載っていたスタインベックに感銘を受けたことくらいだ。 

しかし、それでも“エデンの東”や“怒りの葡萄”という名前を仕方なく覚えただけで、それを手にとって読もうとは思わなかった。 
それよりは、一つでも草花や星の名前を覚えることに時間を費やしたのである。 



社会人になり、やっと文学小説や時代小説、あるいは伝奇小説などに目を向けるようになる。 

が、それでもまだ、海外の文学は垣根の外だ。 



3年ほど前、エジプトを舞台とした小説に取りつかれ、それが私の古代言語への興味を呼びおこし、なけなしの金で流通本まで出すことになった。 



それでも、まだ純文学と分類されるものからは、ほど遠い。






さて、件のヘミングウェイの作品について述べよう。 

ある社会的地位のある老夫婦が、行き届いたホテル住まいをしている。 

ある雨の日、老婦人は子猫が階下で雨宿りをしているのを見て、雨の中に足を運ぶ。 
が、そこにはもう子猫の姿はなかった。 

部屋に戻った老婦人を、彼女になんら興味を示さなくなった夫が、いつもの如く本を片手に迎え、彼女の髪の毛の話にも生半可な相づちをうつだけだった。 

と、ドアが開いて、メイドが後ろ手に何かを持ってきた。 

それは、夫の依頼で探しあてた、あの子猫だった。 





およそ、こんな話である。 




うーん。

アメブロでの私なら、こんな洒落た愛情も示せるかも知れない。 


が、現実の私には、背中がかゆくなってしまいそうだ。 






私のストレス発散。 


それは、バーチャル社会とはいえ、こうした新しい目を開かせてくれたり、ほんわか気分にさせてくれたり、また、自然と涙落つる記事に出会うことである。 




メール、電話のない世界に憧れた、去年までの私はもういない。