
松尾芭蕉の山寺での名句は出来ません。
閑けさや 岩にしみいる 蝉の声
蛇足ながら、しま爺の出雲大社への献詠句
八雲立つ 雲太かつを木 蝉しぐれ
もまた、ありませんでした。
蝉が普段飼われているウサギのように寡黙だと、蝉の風情はありません。
蝉は短い夏に精一杯鳴いてこそ蝉です。
なお、蝉が羽化する時の色は、例えようもなく美しく、なかなか絵にすることは出来ません。
田舎なら当たり前のこの光景も、都会では滅多に見ることは出来ません。
アブラゼミの夏の暑さを表現した鳴き声、ヒグラシの秋の到来を教えてくれるうら悲しい声。
私には、うるさいとは思えません。
話はズレますが、武蔵野線・新八柱駅付近の方なら誰でも知っている、午後5時頃から夜中いっぱい続く、駅前の数本の木にぎっしり止まって鳴く彼ら。
あれはうるさい、というか恐怖を覚えるかも。
私は午後5時前後のあの飛翔を初めて見た時、ヒッチコックの“鳥”を思い出しました。
近くの方は、一度見ても損なし。
ただし、今年は去年の2、3割の数ですが。