「じゃあ、出かけくるよ」
「あっ、ちょっと待って」
女は部屋に行ったかと思うと、すぐにまた現れた。
嬉々として、手に丸い箱を持っている。
「今夜は蒸し暑いからね」
そう言うと、黄色い光を放ちながら男のズボンを下ろした。
「おいおい、何する気?これからお客様の接待なんだぞ。時間が……」
男は悪い夢でも見ている気分になる。
「何勘違いしてるの!いい、暑くて蒸れるのいやでしょ。この汗取りパウダー、すごくいいのよ」
女は視線を青白に変え、容赦なく男の下履きを引き下ろすと、まんべんなく念入りに白いパウダーを塗りたくった。
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「おい、今夜はどうしたんだい。いつもの元気がないじゃないか」
「実は、……」
男は接待を無事終えた後、同僚のTに、いきさつを教えた。
さっきからずっと、股の付け根あたりがヒリヒリしていること。その理由が、家を出る前に塗られたパウダーにあるのではないか、と思われることなどを。
「分かった。俺に任せてくれ」
Tに連れていかれたのは、昨年独身に戻った彼とは、大人の関係になっているとわかる女のコンドミニアムだった。
Tはドアを開けるなり、
「こいつにシャワー貸してやってくれ」
と言った。
女は理由も聞かすに「いいわよ」と答え、口元を弛ませる。
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「ああ、さっぱりした。生き返ったようだ。ありがとう」
「おい、それ塗っとけよ」
男は女の差したものを見る。
「えっ?」
「大丈夫ですのよ。これは本当にサラサラになりますわ。それに、全くパウダーなしでお帰りになったら、痛くもない腹を擦られませんこと?」
それを受け取る時、一瞬女の指が触れ、スズランの匂いが鼻をかすめた。
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男には、地獄が待っていた。
「接待なんて嘘。女の所に行ってたのね」
部屋の中を皿が舞い、椅子が転んで骨折をした。
「あたしはね、あたしはね、あのパウダーに白胡椒を入れておいたの。でも、これはちっとも辛くないわ。あなたが女と寝た後、その女のパウダーでも塗ったんだわ」
女はあそこを舐めて白くあばたのできた顔に、マスカラの黒を溶かし込んだ涙を伝わらせた。
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男がぼんやり外を眺めている。
男は、昨日古本屋で買った本をめくった。
小松重夫という作家の小説である。
3冊100円だから文句は言えないが、結構ガタがきているし、元の持ち主のサインのようなものさえあった。
普段男は時代物など読まないが、安さにつられて買ったものだ。
「あっ!」
男はつい大声をあげてしまっていた。
その短編には、婿入りした男の話が載っていた。
旦那の浮気を確かめる為に、塩入りうどん粉を旦那に塗る女の話だ。
男は本の最後のページを開いた。
そこにあったサインは………。
男は雄叫びをあげたい気持ちを抑えて、やっとのことで大きく息をした。
うすら寒い秋風が、男の鼻をくすぐり、男は大きくくしゃみをした。
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今、男の家で、ガラスのコップや瀬戸物の茶碗を見つけることはできないであろう。