
このネタを見て真っ先に思い出したのが、かつてある格闘家の方が『元気ですかー』と声を張り上げるアレである。
勇気と金に余裕があるファンの方は、その後で心のこもった福澤さん1枚から10枚と言われる『闘魂』を注入される。
バシッとされた相手は、痛み以上の感激に熱いものが頬を伝わっていくのである。
まあ、これはお互いに納得した経済行為だ。だから、他人が口を出してもせんないことだろう。
ただ、端から見ているといささか?マークであったような気がする。
また、場合によっては眉をひそめたいこともあった。
しかし、そういう私も何回か、似た経験がある。
ただし、本人が納得しているならいざ知らず、相手の一方的とも思われる、つまり自分が被害者なのではないかと感じてしまうケースは、今でもいいのかどうかわからない。
確かにこれは、一生残る。
ただし、いい方だけで、悪い記憶はしだいに薄れ、変質していってくれる。
この辺は、年をとるがゆえの幸せであろうか。
お元気ですか?
そう聞かれたら、「はい」とか「おかげさまで」と答えるのが一般的だろう。
ひどく体調が悪い場合でも、冗談の通じる相手ならともかく、第三者には「いや、死にそう」とかはいうまい。せいぜい「ぼちぼちでんな」の世界だ。
じゃあ、そんなこと聞くなよ、とこうなるわけだが、日本では、やはり『お元気ですか?』は、挨拶以上の大切な言葉なのである。
古代日本では、言葉は力をもつものとされてきた。
それが言霊であり、ことのはであろう。
だから、昔、男と女が名乗りあうことは特別な意味があり、それは体を許したということになる。
また、むやみに相手の名前を呼んではいけない。いや、夢の中でさえ言葉に出すことをはばかった。
こうした考えは、実は日本独自のものではない。
言葉が神と同一、あるいは神の前にあったこと、言い換えるなら、神は言葉という武器により造られたとも受けとれる記述が、年中世界のベストセラーダントツをキープしている書物の最初の方に書いてあるようである。
ただし、私は日本語訳や英語訳されたもののごく一部を見ただけであるから、本当にそうなのかどうかはわからないが。
こんなことを考えてくると、
お元気ですか?
はい。
これしか答えようがなくなってくる。
事実はどうあれ。