
これに関しては、全く考えたことがありませんでした。
どれ、では消えてしまう前に、記憶の細道をたどってみましょうか。
小学校低学年の時は、6年生のクラスがある二階に上がるのが好きでしたなあ。
えらく大きなお兄さん方がいて、ちょっと怖いもしましたが、そこからは雑木林に邪魔されることなく、遠く日光や八溝の山々、小貝川という鬼怒川の支流も見え、二階に上がれる用事があるたびウキウキしておりました。
しかし、いざ6年生になってからは、そこは特別な場所ではなくなっていました。
小5くらいから、学校が終わるとすぐに、野山を駆けずり回り草花の名前ばかり覚えることをしていましたので。
私の田舎小学校では、夏休みでも、午前中は家でじっとしているという決まりがありましたから、家庭訪問に先生が見えられた時にも、私が家にいなかったため、親は立場上苦しい言い訳をしたことでしょう。
中学に入ってからも、私の植物熱は上がる一方でした。
家で学校の勉強をした記憶はありませんが、植物分類や宇宙関連の図鑑は愛読書でした。
でも、保健室の先生がきれいだったため、用事もなく、また、体調も悪くないのに、部活の後は時々保健室付近をうろうろしていたかも知れません。
高校。
このあたりから、若きウェルテルの悩みが急激に増加して、ほとんど楽しみとか笑いとかとは遠ざかっていった気がします。
ただ、唯一心が落ち着く場所がありました。
それは、進学クラスでは私が唯一の部員となっていた、陶芸クラブの工作小屋兼窯場です。
徹夜しながら、窯の火の色を見るのが好きでしたなあ。
まあ、あまりに遠い昔。
こんなネタでもなければ、まず思いだしたりはいたしません。
悩みの中にあったとはいえ、まだ瞳が澄んでいた頃のことでございますわい。