
今の私は、Google派だ。
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さて、これからの記事は、精神に正常性を欠いた妄想爺のたわごとと思って読んでください。
意味不明な文章を読んでイライラされる方には、強くスルーすることをおすすめします。
この忠告を無視して、これからの文章をお読みになり、欲求不満を蓄積されても、当局は一切責を負いません。
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GoogleにしてもYahoo!にしても、実に奥深い。
それは、インターネット企業のトップリーダーとしてという意味ではない。
その名称が興味深いのだ。
特に、Yahoo!という、日本ではなんでもない名前には、特別な味付けがある。
そして、その名称の中に、ある明確な意志、いや意思がある。
正しくは、意思でも意志でもないのだが、少なくとも、最初に名前のアイデアを出した人には、また、それに決定した人には、何らの思いが働いていることは一目瞭然である。
それは、何千年かの苦渋と放浪の味であり、永遠に続く闘いの爪痕であり、今の勝利と未来の幕開けへの称賛だ。
日本では教えていない、あるいは、未熟とはいえある判断のもとに、報道を控えている事実があるかも知れない。
アルビン・トフラーがかつて言っていた気がするが、21世紀は情報と宗教の世界であり、その中で遺伝子工学が漂い歩く。
近い将来、生物型チップのようなものが大量生産、一般的になってくると、さらに遠い将来、量子論に基づいたコンピュータが開発され理論的に無限大瞬時計算やフレキシブル判断がなされるようになると、ほとんど人類はコンピュータに支配されるようになっていくだろう。
今はまだSFの世界だが、けして夢物語ではない現実だ。
私は先人が言っていたように『自然に帰れ』と声高に叫ぶつもりはない。
が、『自然に学べ』とは言いたい気がする。
Yahoo!という名称。
Googleという名称。
これらには、単に企業名以上の《力》が存在する。