
見てみたいもの。
これを挙げたら、たぶん1000や10000すぐに出てきそうです。
ですから、その中でも指折りの何個かに絞りますか。
まずは、私が一番使いたくない絶対という言葉を、こればかりは使わなくてはいけないものから。
つまり、絶対に無理なものからいきますか。
そうです。
私たちの宇宙のできるところを見たいですね。
ビッグバン以前のフラストレーション、いや、その前のアインシュタインでさえ頭を抱えた、統一場、我々には虚数でしか表せない状態から、実数的な宇宙への転換点。
まあ、これは、兆が一、何万年か後に人類がタイムマシンを作れたとしても、見るという行為はできませんし、もしできたならそれは理論的におかしいですから、やはり絶対に不可能ですがね。
あと少し身近なところなら、卑弥呼さんとやらを見て見たいですな。
私の推論が正しければ、かなり中東系の顔だちをされているはずです。
しかし、これもタイムマシンがないと無理ですなあ。
では、現在でも可能性のあるものを挙げますか。
それは、ヒトの受精の瞬間です。
いや、へんな勘違いをしないでください。
電子顕微鏡レベルでの話です。
卵子に精子が突入し受精した瞬間、ごく一瞬卵子が光ります。
この光の波長がどれくらいかを知りませんので、その様子を人間の目が光と捉えられるかどうかは分かりません。
しかし、私は以前この瞬間を、どこかの映像で見た記憶があります。
神仏への興味はあっても、神の存在とかは分からない私ですが、このシーンは神々しいものを感じ、感激に体が震えました。
あれをじかに見てみたいものです。
その他にもたくさんあります。
もちろん、その中には上に述べた、宇宙の始まりだの卑弥呼だののように、妄想の世界でのみ実現ができるものも少なくありません。
見たいという衝動は、人類が進化する上で大きな役割をはたしてきたと思われます。
が、場合によっては見ること自体には可能性があっても、見てはならない、知ってはならないというものも少なくありません。
例えばの話ですが、塩湖近くの洞窟から見つかった銅板に書かれている文章の内容とか、定期的に造り替えを行う建物に保管されている鏡の裏側にあるキズなどです。