
おい、おい、しま爺。
とうとうボケましたなあ。スープと味噌汁どっちが好き? という話だぞ。爺の怪しい歴史小説を読みたいわけじゃあない。
そんな声が聞こえてきそうですなあ。
いや、待ってくださいよ。
スープが好きか味噌汁が好きかを考える際には、避けて通れない、たいへん特殊な日本文化に触れなくてはなりません。
日本は、種々の民族が集まってできた連合国家でした。
それは、日本語や昔からの風習を見ればかなりわかってきます。
現存するものでは最古の歴史資料であり、国家がバックアップ、検閲の下で作られた日本書紀でさえ、それが見え隠れします。
なお、今上天皇は桓武天皇について、たいへん興味深いところがある、といった内容のお言葉を述べられたことがあります。
私などにとっては、震えがくるほどのことなのですが、改めて陛下の偉大さのようなものを感じたしだいです。
さて、日本が多民族集合であったと思われる事柄は多々ありますが、詳細は割愛させてください。
あまりにも字数が足りません。
概略だけでは、誤解、曲解を招くでしょう。
もともとの日本人は、南洋的なのんびりした性格とインディアンなどに残る、自然崇拝思想が強かった気がします。
神楽などに、旧日本人から現日本人への権力委譲を見ることができます。
ずいぶん昔にあった、この一大イベントの後、日本はずっと東海の孤島であり続けられました。
西欧の列強が世界中を植民地化していっても、この国は対岸の火事を遠くから眺めているだけですんだのです。
こうした期間が長かったため、日本はアジアにありながら、アジアではありませんでした。
いや、この感覚は今でも残っています。
例えば『アジアの国々』といった場合に、日本はアジアに含まれていない感覚の方が多いのではないでしょうか。
実はまぎれもないアジアの国々の一つなのに、日本は『アジアの国々』ではないのです。
私はこの感覚を非難するものでも、また拍手喝采するものでもありません。
ただ、事実として、経験としてそういう感覚で捉えられることが多いですよね。ということを言いたいだけです。
ずいぶん前置きが長くなりました。
味噌汁にも同様のことが言えます。
味噌汁とはmiso soup、つまり、スープの1種でしかありません。
が、やはりmiso soupは、日本人にとっては特別なものであり、それはスープではなく『味噌汁』なのです。
他のスープと同じレベルで語るべきものではないのです。
私は、この感覚はよく理解できます。
しかし、なかなか多くの国々の人たちには理解が難しいかも知れません。
味噌汁が特別なものであることは、開国までの長い間他国との接触を持たずに、また、持たなくてもやってこられた日本の歴史にも、多いに関係があるでしょう。
もちろん、私は味噌汁が大好きです。
今から25年前に飲んだ味噌汁の味を覚えているほど好きです。
が、パンやスパゲッティにはやっぱりオニオンスープとか、ポタージュが合いますし、赤道直下ではトムヤムスープなんていうのもいいですね。
ただ、日本でご飯を食べるなら味噌汁です。