動物としての | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私たち人間も動物、あるいは生物の一つにすぎません。 
ですから、動物としての本能のようなものがあります。 

だいたい、DNAをみてもチンパンジーとは99%以上が同じで、異なるところは1%にも満ちません。 

ナメクジとだって、おそらく半分くらいは似たり寄ったりなのではないでしょうか。 


ですから、人間が動物としていろいろな本能を持っていることは、むしろ当然なわけです。


そんな人間は、自分を、そして子孫を、つまり、その生命体全体としての種を存続させるために、感覚というものを身につけ、その刺激・経験を記憶し、次回の危機を避けるため、さらに種を存続させるために、その記憶を利用するということを思いつきました。 





それが、視覚、聴覚、嗅覚、味覚であり、触覚であるわけです。 



ところで、私はイノシンやイタチの住む田舎で育ちましたから、こうした原始的な感覚は鋭い方でした。 
今はさっぱりですが、幸いなことに古い記憶の方は、破損、磨耗、劣化が激しいとはいえ、まだなんとか残存しています。 




ですから、オーチャードロードからシャングリラに行くまでの間に、ほんのり漂ってきたアナイスの匂いだとか、「私ね、奥歯が痛いの」と言って開けた口から望けた口の奥にある虫歯ではなくて喉ちんことか、その時の声の調子とか、とにかくなんでも貪欲に、まだ覚えていますなあ。 



そうそう、人間は五感とか言われるものの他に、感情なんていう洒落たものも手に入れておりますわな。