
坂東、下野の国小山から思川に沿ってだらだらと続く丘陵を登って行く。
およそ3里ほどで流れは二手になる。
遥かに皇海山(すかいさん)の三角頭を見ながら、粟野川を左にして、少しきつくなった道をさらに3里。
急に山肌が迫ってきて、道は粟野川に沿いながら、右に左に大きく蛇行してくる。
この辺りから、水の色が青緑を呈し、暑い日にはイワナやニジマスが水面を飛び跳ねるのをみることができるだろう。
さらに2里ほど歩くと、イロハ坂顔負けの何十ものつづら折りの道が延々と続き、粕尾峠に至る。
この道は、日光を開山した勝道上人が切り開いたと言われる。
また、平安時代には藤原秀郷が平将門を鎮圧するために、庚申山(こうしんざん)へ戦勝祈願する際に通った道でもあるという。
若い頃、私はこの道が好きで何度かドライブした。
一度、冬場に粕尾峠を経て足尾まで行ったことがある。
普段なら1時間強で降りられる道に、5時間くらいかかった。足尾について一服した茶屋で「今どき、あの道通るとは。よく無事で」と、半ば呆れられた。
帰りは、そこの主人の教えにしたがい、日光へ抜ける道を通り家路についた。
今考えると、形の上では30年以上無事故無違反のゴールドドライバーだが、私は自分でも自信を持って下手くそ運転手であることを断言できる。
最近は、ほとんどハンドルも握っていない。
そんな下手ドライバーが、よくぞ命を落とさなかったと思っている。
さて、この粕尾峠に至る道が、急に勾配を増し、一時粟野川と離れるあたりに、昭和初期をイメージさせるような集落があった。
レトロな家並みのなかに、あまり風采のあがらないソメイヨシノの木がある。
しかし、だからこそ、私を数十年前にタイムスリップさせてくれる。
その集落は今もあるのだろうか?
私は、初めてそこを訪れた時も、なぜか懐かしい気分になった。
心の、日本の風景がそこにある。