それを演歌と呼んでいいのかどうか、疑問ではあるが | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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森進一の歌に『襟裳岬』というものがある。 

えりも岬とは北海道、十勝半島の最南端にある岬だ。 
利尻などと並ぶ昆布の特産地である。 


しかし、私はこの歌を聞くたびに、何故か知床半島を思い出してしまう。 

おそらく、この歌がはやっていた時期と『知床旅情』の全盛期とがたぶること、私が知床半島を旅した時の印象が強く残っていることなどが原因かも知れない。 

北のまちでは もう 
さみしさを暖炉で 
燃やし始めてるらしい 



私はこのフレーズが好だ。 

さみしさを暖炉で燃す 



なかなか出てこない。 



氷を溶かすとか、暖炉で温まるとか、悲しみを吹き飛ばす、ならすぐに思いつく。 


が、焼却炉で燃すのではなく、暖炉で燃すあたりがにくい表現だ。 


『襟裳岬』は、演歌というにはやや問題があるかも知れない。 

というのは、多くの演歌に見られるエンカのエン、つまり『怨』『艶』『焔』『厭』『宴』『炎』『縁』『塩』『淵』『鉛』『焉』『遠』『烟』の歌としての要素に欠け、フォークソング的な要素が含まれるからだ。


拓郎の作曲であるからかも知れないが、歌詞もよく知られている他のものといささか異なる。 



ひょっとしたら、フォークソングに組み入れられているのかも知れない。



しかし、私の中では、森進一独特の声と相まって、純然たる演歌なのである。 



えりもの春は 

何もない 

春です 



何もないから、胸はいっぱいになる。 



考えすぎですかね。