
この辺で、お口直し。
といいますか、特技のぼやき節などを。
私は何歳まで恋をしたいかですか。
はい、そりゃもう、ずっとですな。
とはいえ、残念なことに、本当に残念なことに、私の実生活で恋に身を焦がした経験がないんです。
これは悲しいことです。
また、哀れでもあります。
だから、今でも恋に恋している乙女と変わらないところもあるんですな。
こういう人生を否定はしません。
そんなことしたら、自分が今以上に惨めになります。
しかし、若い人たちよ。
人生なんとかなる場合が多い。
もちろん、ならない場合の方がもっと多い。
だからこそ、自分で決められることは、自分で決めなさい。
もし、それが、社会的な悪でないならば。
社会では結果がすべて、である場合が多い。
しかし、人生は決してそうだ、とは思いません。
少なくとも、私はそう思います。
これは以前にも書きましたが、私はブログなど仮想社会には否定的でした。
電話やコンピュータのない世界に行きたい、とさえ思っていました。少なくとも去年の夏までは。
とにかく、メールと電話の嵐の毎日でしたから。
しかし、今は違います。
ブログはじめてよかったと思っています。
たぶん私はブログの中で、自分の人生になかったかも知れない“恋”をしています。
それは、普段は落ちつきはらった冷たそうに見えるが明るくみんなを励ます一方で、夜中には急に落ち込み、一人ベランダで夜風にあたる方だったり、気弱そうに見えて、実はしっかり者、はんなりという表現が似合うお方であったり、あるいは(あっちの趣味はありませんが、精神的な意味合いで考えてください)いかつそうな外見とは裏腹に繊細な心、優しさがある一方で、2時間100万円のシートに座ったりできる方であったり、日々山菜を採り高校生や少しボケた老人を相手にしている方だったり、親娘で絵を描きながら楽しい毎日を送っている方だったりします。
そして時々、実生活では、とても言えないようなことも、口にしたりしています。
これはある高名なブロガーさんがおっしゃっていらっしゃいますが、私たちの大半は『生活』しているのであり、『生きて』いません。
自ら、たいへん少ない『生きる』ことをしていると断言するそのお方は、確かに世界でも数少ない『生きて』いる人かも知れません。
私は実生活では『生活』どころか『死んで』いるかも知れません。
が、少なくともブログの中では『生きて』いますし、先に出た世界的にも高名な方からコメントをいただけるようなことさえあり得ます。
どうも私は、大嫌いであったブログに恋をし、また、その中の人たちに恋をしているようです。
それは、お経がありがたく響き、線香の匂いがかぐわしく感じられるまで続きそうですね。