
人が自然の一部であるならば、してはいけないことと、知っはいけないことがあるように思う。
してはいけないことは、やはり人が人を作って(創って)しまうことだろう。
現在の科学力をもってすれば、卵子と精子さえあれば、簡単に人を誕生させることができる。
が、私のいう人を創るとはそういう意味ではない。
卵子、精子における体外受精を否定しているわけではないのだ。
少し専門的になるかも知れないが、私のいう人を創るとは、それらを介さずに行う人の創造である。
現在の科学ではまだ先の話かも知れないが、万能細胞と呼ばれるすべての器官になりうる細胞の増殖・量産化の後にくるのは、十分に分化した細胞、例えば髪の毛や頬の内側の細胞などから人を創ることだろう。
もし、私たち人類がこのまま順調に科学力を伸ばしていけば、これはそれほど遠い将来のことではない。
しかし、私はこれには反対だ、ということだ。
もっとも、遠くないとはいえ、その頃は私は土の中だから、今ここで『反対』と言っても仕方ないことではあるが。
ところで、先に述べのは禁忌事項、つまりタブーだが。
私たち人類には99.99999999999%以上、おそらくこの後に9が1万個ぐらいつく確率で、実現不可能なタブーが存在する。
それは、タイムマシーンのような、時間を戻したり、飛び越えたりはできないということだ。
今、私たちの知っている宇宙においては、光速を越えることはできない。
時間と空間を分離することができない限り、タイムマシーンは作れない。
光速に近づけば近づくほど、そこにいる者の周りの時間は観察者より遅く進むから、これを利用すれば、平均年齢80才の人間が、数百年後の世界を訪れることは、理論的には可能だ。 しかし、戻ることはできないだろう。
さらに、それほど時間の進みを遅らすためには、限りなく光速に近い乗り物に乗らなければならない。
ところが、光速に近づけば近づくほど重量が無限大に近づいていく。
だいたい、分子なんていうやわな構造物でできている生物は、いかなるものであれ、そのような乗り物に耐えられる作りをしていない。
残念ながら、私たち人類には、こうした難問を解決できるすべはないのである。
つまり、時間旅行はタブーというよりは、不可能と言ってもよいものなのだ。
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確か東大のある研究室では、不確定性原理を利用したコンピュータシステムの開発実験をしている。
これは電子レベルでのタイムマシーンのようなもので、もしこれが成功すれば、ノーベル賞は当然として、現在使われているコンピュータは過去の遺物となり、今私たちが使っているコンピュータの何兆倍、いや、理論的には無限に能力を持つコンピュータが作れるようになる。
が、仮ににそれが現実となっても、私たちがタイムマシーンを作ること、時間旅行をすることは、割れたガラスが自然に元通りになる確率と同じくらい低く、蟻が太平洋を泳ぎきり、ヒマラヤを越え、サハラ砂漠を渡り、80日間で世界一周できる確率よりはるかに低いだろう。
だから、10年後の自分に会う心配も、また期待をする必要もないだろうな。
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と、えらく真面目なことを書いてしまった。
これでは寝覚めかわるくなる。
で
、
以前ブログで話題になり、私が笑い転げて睡眠不足となった『しま爺のうわさ』について話そう。
しま爺は、未来人らしい。
やはり、バレてしまった。
だから、私は時間旅行もできるのである。
小説の世界で。