日本における花見とは | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私たちは、雪が溶け春になれば、草花が芽を出し、梅が、桜が花を咲かせて目を楽しませてくれることを知っている。 


まだ、日本では冷暖房がなかった頃。
たとえ家の中にある台所の水が凍り、凍えるほどの寒さに寝つけないような冬であろうが、二階の屋根まで積もるほどの雪に覆われた冬においてであろうが、必ず暖かい春がやってくることを知っていた。 


この四季のある風土、春に花が咲き、緑あふれる自然に恵まれた私たち日本人は、花に人生を重ねるということをしてきた。 


つまり、花が咲くことと、厳しい日々の生活から新たなる希望と重ね、その美しさを愛で、また、はらはらと舞散る花びらを名残惜しんできた。 


勿論、こうした余裕ができたのは日本がある程度安定国家となった飛鳥時代以降、それも初めのうちは貴族階級に限られたであろう。 


特に花といえば桜を意味するようになったのは、平安時代からだ。 

たぶんそれまでは、桜は山里に咲く単なる木の一つであったか、日本にはほとんどなかったのかも知れない。 

記憶が明確ではないが、江戸時代になり、太平の世となると、花見はやっと庶民にも馴染み深いものとなる。 


テレビドラマ『暴れんぼう将軍』で知られる徳川吉宗は、江戸界隈に庶民が楽しめる花見場所を提供したりしている。 


どうも、この時代すでに花見にかこつけて、近くの茶屋で人目を避け、一時の逢瀬を楽しむようなこともしていたようだ。 

貴族社会ではむしろ『美』とされていた、忍ぶ恋『源氏物語』の世界が広く花咲くようになったわけである。 


これは日本人だけかどうかの客観的データはないが、花を自然の姿で見ようという姿勢は、日本独自、あるいは外国にはあまり見られなかった風習のように思われる。 


この傾向は、特に西欧のガーデンを見れば一目瞭然である。 

ほとんどすべての樹木が整然と並び、手入れされ、その下に植えられた草花もまた、幾何学的模様で飾りたてられる。 


現在の日本においても、この人工的風景は当たり前のものとなってきた。 


以前記事にも書いたが、皇居の庭(少なくとも一般人が散策できる場所)は、いかにも自然の野山の風情をかもし出してくれている。 
もちろん、私のように野山で育った人間には、自然に落ちたままになっているように見える枯れ葉や、所々に生えているススキも、実は細心の注意を払った自然であることはわかるが、それにしても見事なものだ。 
最近、こうした幾何学的に整備されていない庭が減り、どこに行っても五十歩百歩の世界が広がっている気がする。 

私なんかにとっては、ひどく寂しい。 


話が、いつものごとくそれてしまった。 




花見では何を期待するかでしたかな。 


そう、まずはその名のごとく、花を愛でましょう。 

そして、人生の刹那を嘆のではなく、酔いしれましょう。 


いやな仕事や家庭の煩わしさからも、一時解放されますか。 



この春から、日本は大変厳しい世界に入っていきますが、まあ、それもしばらく置いておきますか。 




なお、余談ですが、「この桜吹雪を知らねえとは言わせねえぞ」で知られる、通称『遠山の金さん』の背中には、桜吹雪は彫られていなかったようですね。 

当時の前科者がする彫り物をしたらしい、と何かで読んだ気がします。 


彼が生まれた、育った、いろいろな事情を考えると、この話は現実味があります。 

こんなこと書くと、金さんファンには叱られますかなあ。