
それは、平成10年の正月のことである。
私の目が点になった。
寒気さえ感じるほど、私の全身が喜びにうち震える。
「おおーっ」
そんな声をあげ、固まったまま動けなくなった。
まさに運命の出会いとは、こういうことをいうに違いない。
私は、その日から恋に陥った。
くる日もくる日も
「一生に一度でいい。私にも力を」
とばかり、普段祈ったこともない神に祈り、必死に生まれる日を待った。
約1ヶ月後、努力は報われた。
初めてできた。
恐ろしや 魔のナイフ持ちたる 子等キレり
罪に悔いて 詫びをせぬうえ 問えば本音明かさず 夢へ避(よ)けむ
我ながら驚いた。
一生に一度できるかどうか、と思っていた
いろは歌。
そう、私がいろは歌に一目惚れし、初めての歌を作っ瞬間だった。
しばらくするうちに、数時間、場合によっては1時間程度で、いろは歌を作れるようになっていく。
いろは歌とは、
いろはにほへとちりぬるを(色は匂へど散りぬるを……)
のように、日本語のあいうえお~わいうえをまでの48文字(ん も入れることがあり、この場合は49文字)を1回だけ使って、意味のある歌を作るものだ。
さらに、お笑い界では、『時事いろは歌』として、世相を切るものなどが好ましい。
★
しま爺のヨタ話を期待した人、ごめんよ。
まあ、そんな人はいないか。
正月に見た記事は、朝日新聞の日曜版・千葉笑いという週1回掲載される笑文芸コーナーだった。
あとで分かったが、千葉笑いの選者は、ギネス申請しようかと朝日新聞千葉支局長が思うほどの、一人の選者による長期笑文芸コーナーである。
小島先生は、相撲界の大御所、日本初の女子プロ解説者、コロンビアトップ・ライトに代表されるお笑い界の草分け、絵描き、百冊ちかい出版物の著者と、多彩な顔を持つ方であった。
その年、私は年間50回の千葉笑いのうち、27回掲載という、最高掲載率で栄誉ある『年間千葉笑い・天賞』と記念の『バラいちわ』(入れ替えで千葉笑い)をいただき、東天紅でご馳走などをいただいた。
千葉笑いには、どどいつや川柳、回文といったものが掲載されるのが常で、1回あたり数作品が新聞に載る。
その年は、まさに『島ちゃん(当時の私のハンネ)』コーナーとさえ言えるものだった。
ある時、新聞社主宰の勉強会で小島先生の指名をうけ、『時事いろは歌』の作り方を、好き者の皆さんに披露した。
が、その後を結局、誰もついてこられず、また、私も今の会社に入り、投稿する時間がなくなったから、千葉笑いでいろは歌は消えていく。
ということで、昔の私のいろは歌に一目惚れした話でした。
では、多分笑文芸では最難関と思われる、時事いろは歌を何点か載せて、今夜はおやすみなさい、です。
原爆置き去り 鵺(ぬえ)ぞ笑む 広島たって願う 止めよ許すな 戻れ平和 愛せ匂(にほ)ふ 乳飲み子等を
ワープロ打てず パソコンへぼ 何もせぬゆえ おちょくられ あえぎ胸裂けたり 会社の暇(いとま)を見つめる日
バブル値上げ去り 賄賂(ワイロ)も失せぬや 見よ 眉ひそめし 笑む事なき零落の姿 天へ吠え 地に落つを
貧乏こそ楽しからずや お酒あれば 何食いても寝 吉夢見える夜 妻 平和増えろと 無理をせぬ