
昔の歌には、よく『花』という言葉が出てきます。
例えば、
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
これは百人一首にも入っている、古今集・紀貫之の歌です。中学校や高校では、疎遠だった友の家を訪れた時の歌、ということになっていますが、さあ、どんなもんですかな。彼の経歴から考えると、あと少しドロドロとしたものを感じますが……。
まあ、それはさておき、ここでいう『花』は、まず間違いなく梅のことでしょう。
一方、
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
やはり、百人一首にある古今集・紀友則の歌ですが、この『花』が桜であろうことは異論のないところです。
どうも、奈良時代から平安初期には、貴族たちの間で花と言えば梅を表し、それ以降には桜を指す、というのが一般的なようです。
これに関しては、少々言いたいことがあります。
が、話が進みませんから、ここでは割愛します。
さて、上の歌を見るまでもなく、梅と言えば花そのものより、むしろその香りに梅を感じることが多い一方で、桜の場合は、花そのものに桜のイメージが重なってきます。
ところで、人は五感をフル活用して記憶に留めようとします。
これは人が動物であり、身を守るための本能とも関連付けることができます。
危険なものを食べない、近づかない、あるいは逆に、これなら安全だとかいう、生死にかかわる事象をしっかりと覚えるために、すべての能力を使うわけです。
例えば、『梅干し』とか『レモン』と聞いただけで、この記事を読んでいる方の何人かは、口の中が酸っぱくなったか、かつては酸っぱくなった記憶があるはずです。
(梅干しで酸っぱくなったか、レモンで酸っぱくなったか、あるいは全く反応しなかったかで、およその年代わけができるだろう。また、これは一種の催眠術だが、優しい方、寂しがりやの方、知的な方なら、この記事を読み終えるまでに、梅干しやレモンの酸っぱさが口に広がるはずだ)
また、最近の若い人にはわからないだろうが『新しい畳』と聞いただけで、私たちの年代なら、なんとも言えぬすがすがしい、それでいて落ち着きを得られる香りが、鼻から頭の中に広がるはずだ。
では、なぜ梅の匂いに惹かれるのか。
これはしま爺研究所の説であり通説ではないが、生殖にたいへんかかわりがあるからなのである。
梅や桃、アーモンドの種にはベンズアルデヒドという成分が含まれている。
これは若い女性の、ある箇所の、特別な状況での匂いに同じである。
だから、梅の香りには、女性より男性の方が敏感である。
一方、桜の花は、薄桃色をしており、それ自体が女性であったりする。
だから、やはりこれも、女性より男性の方が好むのである。
花見酒に酔いしれるのは、桜を愛でると同時に、うら若き女性をも愛でているわけなのだ。
だから、世の奥様方、花見酒に酔う殿方を許しあげなさい。
みんな、若い女性、つまりあなたを愛しているから、酒を飲んでいるのです。
えっ?
そんなに若くないって。
いや、いや。姥桜……。
おっと、急に冷えて参りましたなあ。
花冷えですか。
風邪を引かないうちに失礼させていただきますわ。
では。