
恋愛に必要なものも、以前のネタにありましたが、年代や状況で、大きく異なるんじゃないでしょうかね。
例えば、10代から20代前半なら何も必要ありませんわな。
とにかく相手がそばにいるだけでいい。経済的なことだの、世間体だのはどうでもいい。とにかく肌を寄せ会い、あるいは、お互いの目を見つめ合うだけで幸せになれる場合が多いでしょう。
ただし、最近、恋愛というのは、田舎の農作業従事者年齢とは正反対に低年齢化が進んでいるから、今の若者にとっては、これは小・中学生のままごとであり、ひどく物足りないかも知れませんな。
あと少し年を重ねると、意識しようがしまいが、また、本人たちに関係のないところであろうがなかろうが“結婚”という文字が、時に透明のベールをまとい、時に春の海の蜃気楼となり、時に冬空のオーロラ、そして時に灰色の鉛の帳(とばり)となって二人を包みこむようになります。
この年頃になると、“会えさえすれば何もいらない”というわけにはいかなくなってくる場合が多いだろうさね。
単なる優しさやたくましさだけでは、恋愛が続かないケースが増えてくるでしょうな。
経済的な裏付けなどが急に重要性を増してくるんですよ。
もちろん、すべてがそうであるとは限らないですぞ。
ある者は、恋に恋したまま年を増やしていくだろうし、ある者は、確固たる信念で独り身を貫くだろうし、また、ある者は、怠惰に年だけを増やしていく。
が、それが良いとか悪いとかは本人の思い次第であって、敢えて他人が評する問題ではないだろうなあ。
少し前になるが、勝ち組とか負け組とかいう言葉が流行った時期があった。
もってのほかである。
結婚したがために不幸になったと感じる人、独り身ゆえに得られた幸せと感じる人だって多くいるはずですわい。
ところで、ある程度分別のつく年齢になり、お互いに肉体的なものより、精神的なものにより喜びを感じられるようになると、そこに必要なものは、お互いを認めあう心や、目指す方向が同じであることでしょうね。
少なくとも私はそう思うんだなあ。
そうなれば、二人だけでなく、周りにも愛のようなものを分けることができるだろうからね。
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自分を棚に上げて……、とは言わないのが、年寄りへのせめてもの“愛”でござりまするぞなもし。
なーんちゃって(古い、古すぎるフレーズだ)。