
10代の恋愛。
それは、恋愛と呼んでいいのか、いささか問題があるでしょう。
というのは、この年代における恋愛とは、だいたいにおいて盲目的であり、衝動的だからです。
なぜなら、その奥には、本人同士が肯定しようが否定しようが、動物としての性、本能的なものから二人が惹かれあい共に愛したい、と感じるものがあるからです。
私はこれを低俗な恋愛だなどと、批判するつもりは毛頭ありません。
むしろ、私はそうした恋愛に肯定的です。また、人生で、この類の時期、経験をすることは、たいへん重要だと思っています。
ただし、少なからず暴走し、破滅的な場合がある気がします。
が、まあ、それも仕方ないでしょうな。
20代の恋愛。
この時期になりますと、結婚という現実が間近に迫ってきます。
ですから、場合によっては打算的な恋愛を、純粋な恋愛と置き換えてしまいがちです。
さらに、単なる友情を一方が強引に恋愛へと持っていくような、怪しい恋愛ゲームに似たものさえ生じかねません。
この時期の恋愛が結婚へと結びつき、かつ、今なお同じ方向に向かって歩まれるお二人は、私にとって羨望以外の何物でもないでしょう。
30代の恋愛
これは大きく3つくらいに分けられるでしょうか。
1つは、本当の大人の恋。ただし、30代といっても後半にならないと、なかなか難しいかなあ。
恋愛経験があったかどうかさえおぼろな私が言うのも変な話ですが、30代初めでは、まだ20代の続きであり、最初の夫婦倦怠期にフラッと誰かを好きになる、まだ、ゲーム感覚が残っている気がします。
つまり、まだ精神的なものより肉体的な要求の渇きからの恋愛というところでしょうか。
ですから、30代も後半以降でないと、本物の恋にはならないでしょうね。
30代2つ目の恋愛は、この年で初めて経験する者同士の、純粋ではあるけれど、お互いに多少すり減ったところがある、それゆえに、お互いの傷には触らない、見えない、モスグリーンの恋愛です。
が、もう、現代ではほとんどあり得ない話かも知れません。
3つ目。
秋葉原などに代表される、仮想恋愛の中から抜けられなくなり、とうとう40の声を聞いてしまう現代特有の擬似恋愛です。
この世界では、男は男性でありながら、同時に中性であったり、時に女性的になり、時に乳児となります。
もちろん、深川、吉原に限らず、昔から擬似恋愛の場はありましたし、また、これはある意味で必要なものではあります。
しかし、ここ10~20年くらいの間に発展した擬似恋愛は、年寄りの私には、やや理解に力を要します。
この辺に関しては、生物学的には面白い推理ができますが、これにつきましては、また、別の機会に。
………………………………蛇足
今日、長男が彼女を連れてきた。最近は1人のガールフレンドに的を絞ったのか、以前のようにグループで家に来てゲームに興じることはなくなった。
私は、ここしばらくの疲れもあり、1階の物置部屋でゴロゴロしていた。
2階の息子の部屋からは、コロコロと若い娘さん特有の笑い声が聞こえてくる。
突然その声が静まりかえったりすると、変な胸騒ぎを覚え、また、笑い声が戻るとほっとしてしまうのは、私が年をとったせいだろう。
夜中に大声など出して迷惑はかけるな、と先日注意した。と、先程タバコ買いに出かけたら、コンビニ途中の公園で寒い中、まだ何やら話している。
私は優しさ、人間味では長男にかなわないと早くから認めていた。
が、どうもモテ具合でも届かないようである。
なんか危なっかしい10代の恋。
時代も違うだろうが、私には経験したことのないようなことを、日常茶飯事でこなしている。
昨年夏、一時は『辛いばかりの人生を送らせてしまった』との覚悟を決めた息子が、少しは人生の楽しさを味わっているようだ。
まあ、これから想像していなかったであろう荒波をかぶるだろうが、なんとかなりそうな気がする。
まあ、オヤジができなかったことをやってくれりゃいいだろう。
しかし、それにしても、世の中変わったなあ。
私の土と同化した透明なキャラにもよるのだろうが、若いお嬢さん(腰まで届く長い髪で、かなり可愛いい)が、着た切りスズメ、草むしり髭爺さんを怖がることなく、明るく『こんにちは。お邪魔しまーす』だ。
酒も滅多に飲まず、タバコをふかすだけで、遊びというものと関係がないところしか知らない息子には、オヤジは何を楽しみに生きているんだろう、とでも映っているに相違ない。
まあ、そんなもんだろう。
人生は。
実は、そのオヤジがブログの中で、若いお嬢さんブロガーさんやら姉さん肌のブロガーさん、妹気分のブロガーさんやらに、毎日のようにメロメロになっていることなど、知るよしもない。
………………………………
ブログネタからは外れてしまうが、50代の恋。
現役バリバリのブロガーさんもいらっしゃるが、私はそろそろ精神的な恋愛世界に入って行きそうである。
そのうち、川端康成の『眠れる森の美女』でも読み直してみるか。
新しい発見があるような気がしますわい。