
神様は、確かに存在します。
が、それは各々の心の中の話であり、天から舞い降りて来たり、善人を助け悪人を懲らしめるというようなものではありません。
もし、本当に見える『神様』がいたならば、なんら罪のない人が惨殺され、加害者が無罪や執行猶予になる理由が、私には理解できないからです。
どんな宗教であれ、神を信じ、それに基づいた生活を送ることは大切なことでしょう。
が、神にのみ頼るのは問題外ではないでしょうか。
かと言って、神を信じることを否定し、その延長上にある文化、慣習をも否定し、中身のない平等とか、学校の運動会のかけっこで順番をつけない、などというトンチンカンな教育も問題外でしょうね。
社会に出たなら、大なり小なり、競争も差別も存在するからです。
英会話の重要さはわかります。が、文法の基礎がなくてよいなら、英語圏に生まれ育てば誰でもしていることを、さも重要課題にしていることは思慮不足あり、他の言語への応用がきかないことを理解すべきでしょう。
英文法が解れば、西欧の大半の言語のみならず、中国語や東南アジア言語への応用がきくのです。
地理教育は悲惨を通りこし、お笑いレベル以下にまで堕落してしまいましたね。
やっとこれで、飛び抜けた日本人の地理知識は『世界一般国レベル』になったわけです。
『日本人を全員おバカさんにしよう』と考えている、先進的考えの、高尚なる文化人とおっしゃられる、わけのわからぬ平和平等を唱えるお方たちの願いは、残念ながら、日本の政治、教育といった、奥深くまで蝕んでしまっているようです。
かの文化人とおっしゃられる方たちは、これで満足でしょうか。
私は、情けなくなってしまいますが。
また、日本における自然保護などを唱えている方の、おそらくほぼ全員は、地球環境を考えての、素晴らしい思いからでしょう。
しかし、世界ではそんな理想論だけでは通じませんよ。
なぜ、アメリカ合衆国が京都議定書にサインしないかは、すぐにわかることでしょう。 ただ、4月以降の業界大編成の動きから、少し色合いが変わるかも知れませんがね。
神様と、ずいぶんかけ離れた内容と思われるでしょうか。
いや、大変関係のあることなんですよ。
日本のように『日本教』ともいうべき、意識されない、文書化されない特殊な場合を除いて、大多数の国々では、何らかの目に見える宗教的制約を受けています。
私たち日本人の多くは、いかなる理由によっても殺戮は“悪”という教育を受けていますし、おそらく大多数の方は、それが当然と思われているでしょう。
ちょっとショッキングな言い方ですが、これは世界の常識ではありません。
神のお告げとされる言葉を、『文字通り』解釈する、あるいは後世の翻訳者の誤訳や英語、日本語などに翻訳した文書を鵜呑みにしてしまわれる方々をも含め、多くの宗教において『日本人の感覚からすれば、罪なき人たちへの殺人』が、神の名において肯定されている場合があることも、知っていた方がよいかも知れません。
また、ある宗教においては、神を信じない『我が子』たる自分の子孫を、神自ら計画的に滅ぼすこともします。
このように、日本のような多神教の国柄では、なかなか理解が難しいことも、たくさんあると思います。
例えば、今回のブログネタ『神様っていると思う?』という問ですが、場所によっては、時代によっては、その問いかけをしただけで、火あぶり、ギロチン、あるいは銃殺となるでしょう。
というのは、神が存在することは当然であり、それに疑問を挟むことは、神への冒涜であり、最大の罪ですから、極刑以外考えられないのです。
日本国憲法では、信教の自由をうたいあげています。
しかし、日本には、それにより戦争となるほどの宗教はありません。
日本国憲法が、アメリカ合衆国によって作られたことを考えれば、まあ、この辺はあまりつついても仕方ありませんけどね。
また、日本には、自分は意識しようがしまいが、『日本教』という、姿形のない実にユニークな宗教があり、それに気づかずに一生を終える方が大半です。
日本教には、たくさんの神様がいます。
また、たいへん臨機応変で、嫉妬しない神です。
クリスマスなどには西欧の仮面をかぶってみたり、お盆には出番を控えたり、天災をとがめられても、お怒りになりません。
そうかと思えば、正月には『大吉』を大量生産しなくてはいけませんし、十字架のネックレスを付けた若夫婦の祝福をしたりと、年中休みなし。
ところが、敬虔なクリスチャンや中東、東南アジアなどでイスラム教になられた方、新興宗教でひねもす布教、勧誘されている方などを除き、だいたいの日本人は、普段は神様は頭の中にないことでしょう。
先日のバレンタインタイン・デーにしても、手作りチョコを必死で作ることはしても、バレンタインの生涯や教えについて考えた方は、ほとんどいないのではないでしょうか。
これが、あなたも『日本教』の一員である何よりの証拠です。
日本においては、
神は心の中にのみ存在する。
ありきたりではありますが、これが私の考えです。