
母は時々、高いびきをしている。
脳梗塞などによくみられる症状だ。
たまに薄目を開けたりするが、物音に反応してのことで、はたして何かが見えているのか、また、何かを認識できているかは、大変あやしい状態だ。
また、喉を震わすこともあるが、『声』というまでには至っていない。
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結婚は、恋愛の延長であって欲しいか?
厳しい質問である。
私の人生で、恋愛なるものが存在していたのだろうか。
しかし、それを考えるとむなしくなるから、全くの理想像を語ってみようかな。
もちろん、その延長であって欲しい。
恋愛とは、おそらく理論などを超越したところにあるもので、とにかくお互いが惹かれあうものだろう。
偉い先生ならば、恋愛を心理学的説明で解明したり、DNAの仕業にすることも可能だろう。
が、私にとっては、そんなしちめんどうくさい、とってつけたような解釈は、ピカソの絵にマジックインキを塗るようなもので、興ざめものである。
だから、とにかく好きなら、ずっと好きあえたままで一生を送れたら、これほど幸せなことはないだろう。
まあ、なかなか世の中そうはうまくいかないのが常なのだろうが、たとえ人前だけでも仲睦まじい関係は、羨ましくもある。
ましてや、心がつながっている、向いている方向が同じなら、多少の経済的な辛さなどは、本当に困惑するほどのものではないような気がする。
ただし、これはあくまでも理想論であり、現実はそう甘いものではない。
下世話な話になるが、『縁の切れ目が……』ということは、残念ながら存在している。
最近の日本の格差社会(世界の有力国の中で、最も貧富の差がない国だったろう)への移行と、歴史的ベースのない個人主義などのなかで、さらにこの傾向は悪化の一途をたどっている。
悲しいもんですなあ。