いまだに塾講師? | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

「夢で良かった!」と思った夢 ブログネタ:「夢で良かった!」と思った夢 参加中


最近、夢はあまり見なくなった。 
いや、正確に言うなら、夢は毎日見ているはずなので、夢を覚えている、あるいは、夢の途中で目覚めることがなくなった。



で、少しばかり前になるが、ひどく疲れた夢について語ろうかな。


その夢で、私は塾講師になっていた。講師を辞めて10年も経つというのに、どういうわけか受験日の夕方、質問室に私が座っている。 


隣には、今受験を終えたばかりの生徒がいる。
 
普段の私は理系を受け持っていたが、ときには文系講師として教壇に立ったこともあった。まあ、スイッチヒッター講師というところだろうか。 


で、夢の中で生徒がホヤホヤの国語入試問題を手にし、私に質問にきたのだ。 

作者の心情を選ぶ、選択問題である。 



ところが、本文がえらく長い。おそらく、麻布か武蔵の問題に違いない。


私は相当気を引き締めて、本文を読み始めた。 
が、途中まで読んだところで文字が見えなくなる。 焦って、もう一度初めから読み直そうとした。 
が、なんと、先程読んだ内容と変わっている。ページを飛ばしたのかと思い、試験用紙を1枚1枚めくる。 
と、また、本文が変わっている。 

? ? ? 


そうだった、作者の心情なんていうのと、試験の正解というものとは違うんだ。 

そういえば、先日読んだ清水某の本で、『ほう、俺はこういう心情なのかい』と、有名中学入試問題を笑っていたなあ、などと思い出す。 


と、試験用紙がフッと消えてしまった。 


生徒が目を点にする。 




と、そこで目が覚めた。 


ひどく疲れた。 


夢の中で長文を読むということは、寝ながらも作文していることに他ならない。本文が、読む都度違ってしまったのも当然だろう。夢の中で作った作文を、また夢の中で再現することは、俳句、短歌ならさておき、長文では不可能に近い。



とにかく、久々に疲れた夢でした。


夢でよかった。 

本当の話だったら、麻布、武蔵の国語問題の入試における正解を、そうそうには導きだせなかったかも知れない。