
はて、本当のことを書いていいのやら。
いや、どうせ嘘の下手な私たから、書いてしまおう。
最近、神話とか宗教とかいった、かつては見向きもしなかった本をペラペラとめくっては、答えのでるはずもない問題を考えて、ぐらつきそうな自分を支えている。
と言っても、何らかの宗教に入ろうとか、どこぞにおわします神様やら仏様とやらにすがろうというものではない。
幸か不幸か、神様とか仏様とやらは、心の中には存在するとしても、物理的な存在をいまだに?マークを付けてしまう、信仰心の薄い私には、おそらく生涯、そうした物理的存在に遭遇する機会はないようである。
もっとも、若い時、多分素直な心の持ち主なら、それらしき存在を垣間見たことはあるが、ひねくれ者の私は、それを、極度の緊張、あるいは生死を分けるほどの瞬間における、自分自身の脳の異常活動と見ているから、聖職者にはほど遠い。
例えば、ある時、車が大破し、車体が半分近くなるようなことを経験した時、確かに1秒が10秒くらいに感じられ、その間に次に起こる事態に対応すべく、脳と全身が、普段では信じられぬ動きをしたことがある。
また、幻覚というには、あまりに鮮明な場面にも出くわしたこともないではない。
が、やはり私は、それを宗教的なものへ結びつけることはなかった。
脳は、時々とんでもない活動や、ごまかしをする。
だから、その類であろうと、いまだに思っている不届き者だ。
そんな私が、なぜに宗教やらに凝ってしまったかは、大変失礼ながら、決して答えの出ないゲームを、一人楽しんでいるのかも知れませんなあ。
時には、マヤ神話と日本神話にあまりに似ている場面や考え方に出会ったり、エジプトの神と日本の神や言葉の類似を見つけたりして、ほくそ笑んだりしているわけです。
やはり、ひまつぶしという言い方は、失礼でございましょうなあ。