
残念。
これには答えなし。
というのは、私の若い頃(せいぜい30代まで)は、“どこかでお会いしましたよね”と言われるのが常でした。
それは日本に限らず、アジアでもヨーロッパでも同じことでした。
しかし、いざいつだったか、どこでだったか、あるいは何の映画やテレビで見たかは分からない、と言われたことがよくありました。
これを科学的というか、自分なりに考察すると、私の顔は、ヒトのイメージとして多くの民族が持っている特徴を少しずつ持っているのだ、ということになります。
つまり、強烈なイメージを与える個性的な顔立ちではない、ということでしょうか。
ただし、相手に警戒心よりは、親近感に近いものを与える、ということができるかも知れません。
おかげで、海外生活ではいろいろ危ない話や、実際生命に関わる悪い現実を目にしましたが、幸い、私は自らスリルを求めて危険に近づき、予想通り邦貨何万円かの研究費を払っただけで、首や背中にキズができたり、お腹に穴が開くようなことはなく、相手の家庭に招かれたり、一緒に映画を観たりと、実に楽しい日々を送ることができました。
どこかで見たけど、思いだせない。
そんな私には、似ていると言われて嫌だった芸能人はいないのです。