私は、北関東の田舎で生まれた。
小学校に入る前から、長男でありながら家を出る、という使命感のような、決意に似た思いがあった。
田舎の長男が家を継がないというのは、当時はたいへんなことであったにも拘らず、それは実行される。
今思うに、私はあまりに素晴らしき環境、人々の中で育った。
経済的には苦しかったが、精神的には、いわば純粋培養に似た、教科書通りの生き方だったろう。
学校の勉強はほとんどせず、絵や植物、陶器にうつつを抜かしていたことをのぞけば。
いや、そんなことにうつつを抜かせる余裕があったから、今の我が子とは比較にならぬほど豊かだったともいえる。
田舎故、隣の家は離れていても、江戸時代の長屋に似た生活。
つまり、悪いことをしたなら自分の子どもではなくても、躊躇せずげんこつのとんでくる世界。魚がたくさん採れたら近所にお裾分け。
愛情をもってすれば、特に期待するわけではないが、愛情がかえってくる世界。
子どもには愛情をもち、しかし、甘やかすことなく、他人の迷惑となることはさせない。
体調を崩したなら、介抱する。
それが当たり前である世界に育った。
いや、どこだって、いつだって、そんなことは当たり前じゃないか、と思う。
あと数年で還暦を迎えるというのに、いまだに田舎の先輩や親戚は、私の名前にちゃん付けだ。
木偶の坊の貧しい田舎の出でありながら、そんな温かい雰囲気に嫉妬(私は、怒りや羨ましいという感情はわかるが、この感情は30代になり初めて知った)する気持ちが、やっとこの年になりわかりつつあるが、だからといって、もし、私が嫉妬してもどうこうするつもりはない。
いや、それならやはり嫉妬ではないのかもしれない。
心理学者の多くが言うように、愛情というものを知らずに幼年期を経た場合、なかなか愛情を他に向けるのが、難しいのかもしれない。それは、本能的と考えられる子どもに対してさえ。
と、いうようなことを、昔、ある人から聞いた。
それは差別ですよ、と若い私は思い、反発したものだが、案外当たっているのかもしれない。
そんな風に最近は思うようになってきている。
しかし、さて、今目の前にある本当ならささいな、いや、あってはいけない、呆れかえって、信じたくない現実。
しかし、やはり現実。
私は多分、結構いろんな経験はしてきたつもりだったが、甘かった。
田舎で純粋培養されたものには、あまりに理解不能のことが多い。
いや、ある考え方をすれば、よく理解できるが、それは司馬遷の世界だ。
ただ、その司馬遷の描いた世界に似た言葉が出てきた。
おそらく、司馬遷さえ小説として扱っていた世界。
自分が、いかに素晴らしき人たちの中ではぐくまれたかを、改めて実感すると同時に、明日にも崩壊しそうな目前の氷壁をどうすべきか悩むのである。
壁が落ちてくるのを避けることはできない。
どうすべきか。
目前壁だけなら、まだなんとかなるだろう。
しかし、見えない闇があまりに多過ぎる。
試練というには、厳しい。
確か旧約に、遅くにやっとできた我が子を神の生け贄として……、の下りがあるが、仮に、私がその神とやらを信じた場合、どんな選択をしろというのやら。
私は、人を皮膚の色や、職業、宗教で差別する気持ちは、おそらく平均的な日本人が無意識に持っている差別意識を含めて、かなり低い方だと思っている。
が、あまりに枠を外れた場合、本当ならスパッと切るか、消えるかするが、
また、髪が薄くなる。
いや、そんな呑気なことを言ってはいられない。