私が殴った人たち | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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長男が子どもの頃は、かなり暴力的な教育をしていた。
しかし、いまや長男は私以上我慢に耐え、女子に優しくできている。 


ところで、長男の教育を除いて、またスポーツとしてのそれを除くと、私が人を殴ったのは、3回である。 

それが、多いのか少ないのかは、わからない。 


が、私にはその3回のすべてを、殴った前後の状況を含め、2日前の仕事より明確に思い出すことができる。 

1回目は、30年以上昔のことで、伊豆の踊り子に似た別れがあり、たまたまその時に仲間となった男が、私の涙をカモフラージュさせるために、お互い殴りっこしようぜ、との提案でしたものだ。つまり、そこには、全くわだかまりや、怒りがないものだ。ただただ、甘くせつない思いだけがおそらく一生残る。 
私は、こんな 殴る があるんだなあ、と感心したのはずっと後のことである。 


2回目も、ほぼ同時期だ。 
ある友人が我が家に来て飲んだくれ、別の友人の頭をビールビンで叩いた。 
思いきり。 
相手の頭から血が流れた。 
それでも、ビールビンをもった男は偉そうにしている。 
私は、思いきり彼の横っ面をはった。 彼は人前で殴られたのは、初めてだ、と言い一瞬私をにらんだ。 
そして、もし、お前でなかったら、というようなことを言い拳を握りしめた。 

これが、唯一、怒りからきたものだ。



そして、もう1回は、5年ほど前。 

相手は、女性である。 

これは、怒りというより、正気になれよ、みたい理由があるのだが、


しかし、相手は、包丁を逆手に持ちかえて……。 
実は、私の殴った2人目の友人に、逆手に持ちかえる意味を聞いたことがあったが、まさか、自分がそういうものを見るとは、 



だから、難しいんだなあ。 

どないするかが。 



いや、包丁逆手なんてまだ、かわいいもんで、 


で、中国の故事書こうと思ったがやめた。