飛行機は、まるで氷の上を滑るように、制動することなく進んで行く。
ブレーキの故障?
そんな不安がよぎる。
が、通常の機内放送以外に何もなく、機は無事にドバイ空港に着陸した。
思うに、ドバイ空港の滑走路は、成田や香港の空港とは違い、相当長い滑走路だったのだろう。あるいは機長の操縦がうまく、ブレーキをかけたのを感じさせなかったのかもしれない。
約2時間の給油休憩となる。
客たちは、機内で寝ているか機を出てロビーでくつろぐこととなる。
私は、ここで降りるアラブ人たちに続いてゲートを抜け、大理石の壁が光るロビーへと渡った。
売店のショウウィンドウが、金色に光り輝いている。
この店も、そこの店も、そして、あっちの店も、高照度のライトに照らされた装飾品や延べ棒が、まばゆい光を放っているのだ。
まさに、それは金そのものであった。
石油という化石燃料のおかげで、いやいや、イスラム的な考えをすれば、神の恵みにより、中東諸国は西欧諸国とは違った繁栄を築いていた。
ドバイは、その恵みを具現化した一切片にすぎない。
が、初めて見る者にとって、その売店群は異様であった。
原油。
もう、何十年も昔から、あと何年で枯れ果てると言われ続けて久しい。
よく不安を煽るようなセンセーショナルな記事を載せる週刊誌などで、原油埋蔵量という言葉が出てくる。
実は『埋蔵量』とは、国語的な意味合いでは、地球に存在している量を指すのだが、原油や鉄鉱石埋蔵量という場合には、この国語解釈は誤りである。
あくまでも、その時点で分かっている量、または、発表されている量であり、実際の埋蔵量とは、全く関係のない数字だ。それが一人歩きし、政治的に、あるいは週刊誌発行部数を上げるために利用されているだけである。
記事を書いた記者たちや、テレビ番組制作者は、おそらくそのことは分かって、敢えて目をつぶっているに違いない。
が、もし万が一、そんな基礎事項さえ知らずに、埋蔵量などの数字を鵜呑みにしていたとしたなら、そうした記事、番組の編集者たちは、よほどおめでたい方々に相違ない。
しかし、それを知らない一般大衆は、そんなマスコミを信じ右往左往する。
日本は、公であれなかれ、上部から発表されたものに対して疑問を持つということに歴史的に慣れていない。
だから、日本株式会社は、ある目標に向かって、国民が一丸となり高度成長を成し遂げることができた。
が、同時に1億2千万人が、すべて泥沼に入ろうとしていても、ぬるめの温泉と勘違いしてしまい、気づいた時には抜け出せぬ、という危険性も含んでいる。