「おい、しま、ちょっと俺の部屋に来い」
シンガポール工場長のフナさんから、直々に電話が入った。
フナさんは、シンガポール工場の鬼将軍と呼ばれていた。
彼が現場へ足を運ぶと、ラインリーダーたちの顔が硬直する。しかし、気さくにパートのインド人やマレー人にも声をかけ、場合によっては自ら一人一人に、懇切丁寧にハンダ付けの方法やら、パーツを右側に置くべきか、左側のどの辺に置いたら作業が楽になるかなどを具体的、適切な指導をするから現場の女工さんたちには、滅法人気があった。
いささか哀れなのは、ラインリーダーやフロアリーダーたちである。
直々に部屋に呼ばれては、1秒単位での生産性向上をせまられる。
彼が言うことはもっともであり、いざとなると自ら実践してしまうから、各リーダーたちは彼の顔が現れるたび、何事もなくフロアから姿が消えて行くまでの、長い時間を手に汗を握りながら待つのであった。
日本人駐在員の私でさえ、フナさんに呼びつけられると「今度はどんな難題を突き付けられるのか」と、いささか重い足取りとなってしまうのだった。
「ここに、コンベアベルトラインと、配線図を書いてこい」
フナさんは、全紙大の青写真を広げて言った。
「?」
私は、金型や製品の設計はしたことがあるが、渡されたものが、一体何なのか検討がつかない。
「フランス工場を作る。内部はお前が考えろ」
ははーん、工場の見取り図か。しかし、それにしては変だ。フロア中央ラインにひどく大きな円が3個ばかり、等間隔に描かれている。
「あのう、この丸いのは?」
「ああ、それか。暖房だ。少し寒いところなんで、熱湯を入れたタンクだ。まあ、オンドルみたいもんだ」
オンドル? あれは確か床下では? と思ったが、言いたいことはわかる。
それにしても巨大だ。直径3メートル。
ずいぶん大げさなものを設置するなあ、とその時は思っていた。
「倉庫を兼ねたものだから、とりあえず1ライン20人で、2ラインだ。ただし、将来を考えて、5ライン対応できるよう、配線とエアーコンプレッサー接続場所を描いてこい」
配線ねえ。俺は電気屋じゃないぜ、といいたい気持ちをぐっと抑える。
なんでもこなしてしまうフナさんに「やったことありません」は通用しない。
「わかりました。で、いつまでですか」
「夕方まで、と言いたいが、まあ、2、3日やるから、できたら持ってこい」
はっ? 全くの素人だよ。だいたい、見取り図全体の把握が……。と思っても仕方ない。
多分、フナさんなら数時間でできる作業なんだろう。彼は、滅法うるさく感じられることもあるが、根拠のないことは言わない。
私がフナさんを尊敬する理由のひとつが、この裏付けある指示である。
また、もっとも尊敬する理由は、仕事とプライベートを分けられることだ。
シンガポール工場は、初代工場長のゴッド(名字を縮めたあだ名だが、まさにシンガポールではゴッド:神の名にふさわしく、大統領官邸に自家用車で入れる大変稀な日本人)の決めごとで、工場長だろうがパートの工員さんだろうが【さん】で呼びあっている。
フナさんも工場の門を出れば、私などの平(駐在員には、形式的に日本本社にない職名がつくが、これは外部を意識したものでしかない)と同等の付き合いとなる。
仕事を離れてまで、親分風は吹かさないのだ。
つづく