
お互いが七十歳とか八十歳とかになり、かつ、ともに男あるいは女であることを忘れたか、または、若くとも神仏に心底帰依でもしていないかぎり、かなり難しいと思われます。
だいたい、男女が友情を感じるとは、お互いの価値観が一緒とか、古くから兄弟のように親しい間柄であったか、などでしょう。
場合によっては、お互いの夜だけの友と割り切った間柄もあるのでしょうが、これは会社と会社との契約のようなもので、友情で結ばれた関係とは言いがたい気がします。
あまり良い設定ではありませんが、例えば友情で結ばれているとお互いが思っている二人が、たまたま温泉宿で二人だけになったとします。
男女とも浴衣姿。
女は無意識のうちに髪などかきあげ、流し目がちに男に酌をする。
湯上がりのほのかな石鹸と、薄化粧の香水の香りが男の鼻腔を刺激する。
男女ともに既婚者である場合、良心という邪魔がなければ、まず友以上の関係になる公算が高いにちがいない。
仮に、一方のみが既婚者である場合は複雑だが、やはり良心が邪魔でなければ、なるようになるだろう。
ともに未婚でも、お互いがまだ青い果実なら、たぶんあまり深い関係にならぬだろうが、やはり友情で結ばれた関係以上のものになるだろう。
なお、既婚者同士だろうが、未婚者同士であろうが、おそらく頭の中では既に友であることを否定した妄想に悩まされるかもしれない。
既にこの時点で、友を超えてしまったのだが、表面上は友のまま、つまり、みかけの友情は成立していることになる。
もし、本当に若い男女間で友情が成立しているとしたなら、女性を女として認識していないか、男性を男として認識していないかであるから、このような関係は、男女間の友情とは言いがたい。
つまり、男女間の友情は、見せかけの上では成り立つが、心の中では成り立たない。
これが私の考えだ。