下宿から歩いて5分ほどの所に、5人も入れば満席となってしまうような珈琲専門店があった。
ハイライトが80円、学食なら150円もあれば空きっ腹を紛らわせた時代、ブレンドが200円、ブルマンにいたっては400円くらいしたから、おいそれとは行けない。
ただ、オーナーが定年退職後の半分趣味で開いていたような店だったことや、絵という趣味が同じだったせいか、時々おまけに当時は珍しいハワイ・コナーズやブレンド頼んでもブルマンをご馳走してもらった気がする。しかし、当時としては値段が値段だから、やはり気軽に入れる店ではなかった。
その日は、2日連チャンの徹夜実験を終え、豚の腎臓からDNAを抽出し、生涯忘れることのできない感動に、実験室で祝杯をあげほろ酔い気分で下宿に帰る途中だった。
今でこそDNAは簡単に抽出できるようになったが、昭和50年代初期には、フラコレーターという半自動の器械をなだめながら作業をしなくてはならなかったから、おいそれと寝ていられなかったのである。
しかも、かなり細かい神経を使わなければならず、抽出後の実験室での祝杯は、教授連中も見て見ぬふりをしてくれていた。
話を戻そう。
興奮醒めやらぬ下宿への帰り道、遠慮がちな例の珈琲専門店の看板が見えてきた。
「よし、今日は自分へのご褒美だ。ブルマンでも飲もう」
そう思い、少し歩みを速める。
と、私の足が止まった。
看板の前に、見慣れた自転車を見つけたからだ。
それは、ひそかに思いを寄せていた女の子にそっくりな赤と白のストライプの入ったミニチャリだ。
次の瞬間、私の視界に光が溢れた。
黒いシャツに黒いパンタロンという、当時では相当大胆な、いや、今でもかなりの自信がないと着こなせない服装の、長い黒髪をなびかせた彼女が現れたではないか。
「あの子も、この店にくるんだ」
私の心臓が早鐘を打始める。
私は、母と祖母を除いて男ばかりの家に育ち、近所にも同年の女の子がいなかったこと、高校はその名を言えば、知っている人には一歩後退りされるかも知れない、田舎の荒武者男子校出身だから、こと女の子に関してはうぶだった。
「よし、これで彼女に話しかけるきっかけができたぞ」
と、今ならおくての中学生にさえ笑われそうな私がそこにいた。
が、
次の瞬間、私は奈落の底へと突き落とされたのである。
店から、彼女より頭ひとつ背の高い男が現れると、ごく自然に彼女の長い髪を撫でながら、なにやら話しかけたのだ。
彼女の顔は見えない。しかし、後ろ姿にも、彼女のはじけるような笑みや、潤んだ口元が見えたような気がした。
私は、見てはいけない物を見てしまったような感覚の中で、鉛の足を携えて下宿と反対側の道へ歩き出していた。
夕暮れの中、どこからか、南こうせつの『神田川』が聴こえてきた。
……赤い手拭いマフラーにして
ふたりで行った横丁の風呂屋……。
私の目には、夕焼けの西日がまぶしく、次の角にある信号の色もよく見えない。
おわり
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これはフィクションです。