恋人よ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

「俺についてこいよ」

肩まで髪を伸ばした私よりも、さらに長い髪の友人が言った。 


夕暮れの中、講堂の裏へ回り扉を開ける。彼はそこで、入り口にいた男と二言、三言話した後、薄暗がりの中を奥へと進んで行く。 


そこには、異様な静けさがあった。 


しばらくして、壇上に、腰にまで届く黒髪の女が現れた。一斉にに拍手がわきおこる。彼女の後ろ姿を舞台裏から間近に見ながら、「一体誰なんだろう」と思った。



また、一瞬静けさが戻り、ピアノから、 



ダッダー、ダッダー、ダッダ、ダーン。 

ダッダー、ダッダー、ダッダ、ダーン。



と、腹に響くような低い和音が鳴りだした。 


その刹那、私は得体の知れない寒気に襲われた。ドヴォルザークやベートーヴェンとは違うものの、それに匹敵するような重厚な音、サラサーテのチゴイネル・ワイゼンに似た心の中にすんなりと入ってくる哀愁。


私は、驚きの中にいた。 





枯れ葉散る 夕暮れは・・・・・・。



太く重い、それでいて透明感のある声が続いた。 



私は「ビートルズを聴くのは不良だ」くらいの風潮が残る、北関東の田舎に育った。 

だから、拓郎の名前くらいは知ってはいたが、高校時代までは、壁の向こう側の存在だった。五輪真弓という名は、全く知らなかった。


「すごいよな。こんな有名な歌手の歌を聴けるなんて」

と、私を、特等席でただ見させてくれた友人が言った。

私には、その歌手がどれほどの有名人かは知らなかったが、そんなことより、今まで知らなかった世界に心を震わせていた。 



その後、私はフォークソングの世界に傾倒していく。 



最近、テレビコマーシャルなどで、拓郎やこうせつ、陽水といった懐かしい面々の曲が流れてくることがある。

思わず口ずさんでいると、息子が目を大きくして言う。
 
「へえ、パパも結構新しい曲、知っているんだ」

「なにが新しいものか。これはな、パパの時代の曲なんだぞ」

一瞬、驚きの声をあげた息子が聞き返す。 

「へえ、・・・・・・・。で、パパの時代っていつ?」


「!」


私は息子の問いにうろたえる。 

そして、『俺の時代』とはいつなのかを自問自答する。 



大学時代は、フォークに泣き、癒され、空腹と不安、不満の中にわずかな明かりを灯して暮らしていた。 


フォークソングは、結構覚えた。が、Fコードさえまともに押さえられない私には、いまだに『恋人よ』を歌うことはできない。