「俺についてこいよ」
肩まで髪を伸ばした私よりも、さらに長い髪の友人が言った。
夕暮れの中、講堂の裏へ回り扉を開ける。彼はそこで、入り口にいた男と二言、三言話した後、薄暗がりの中を奥へと進んで行く。
そこには、異様な静けさがあった。
しばらくして、壇上に、腰にまで届く黒髪の女が現れた。一斉にに拍手がわきおこる。彼女の後ろ姿を舞台裏から間近に見ながら、「一体誰なんだろう」と思った。
また、一瞬静けさが戻り、ピアノから、
ダッダー、ダッダー、ダッダ、ダーン。
ダッダー、ダッダー、ダッダ、ダーン。
と、腹に響くような低い和音が鳴りだした。
その刹那、私は得体の知れない寒気に襲われた。ドヴォルザークやベートーヴェンとは違うものの、それに匹敵するような重厚な音、サラサーテのチゴイネル・ワイゼンに似た心の中にすんなりと入ってくる哀愁。
私は、驚きの中にいた。
枯れ葉散る 夕暮れは・・・・・・。
太く重い、それでいて透明感のある声が続いた。
私は「ビートルズを聴くのは不良だ」くらいの風潮が残る、北関東の田舎に育った。
だから、拓郎の名前くらいは知ってはいたが、高校時代までは、壁の向こう側の存在だった。五輪真弓という名は、全く知らなかった。
「すごいよな。こんな有名な歌手の歌を聴けるなんて」
と、私を、特等席でただ見させてくれた友人が言った。
私には、その歌手がどれほどの有名人かは知らなかったが、そんなことより、今まで知らなかった世界に心を震わせていた。
その後、私はフォークソングの世界に傾倒していく。
最近、テレビコマーシャルなどで、拓郎やこうせつ、陽水といった懐かしい面々の曲が流れてくることがある。
思わず口ずさんでいると、息子が目を大きくして言う。
「へえ、パパも結構新しい曲、知っているんだ」
「なにが新しいものか。これはな、パパの時代の曲なんだぞ」
一瞬、驚きの声をあげた息子が聞き返す。
「へえ、・・・・・・・。で、パパの時代っていつ?」
「!」
私は息子の問いにうろたえる。
そして、『俺の時代』とはいつなのかを自問自答する。
大学時代は、フォークに泣き、癒され、空腹と不安、不満の中にわずかな明かりを灯して暮らしていた。
フォークソングは、結構覚えた。が、Fコードさえまともに押さえられない私には、いまだに『恋人よ』を歌うことはできない。