ずっと昔、まだ私が新工場開設の鉄砲玉役ばかりしていた頃、半年ほど栃木県・宇都宮に住んでいたことがある。
宇都宮といえば、今でこそギョウザの町として知られ、関東のみならず各地から、それ目当ての客が訪れるようになったものの、当時は、何ら名物のない地方都市の一つにすぎななかった。
「少々変わっているが、味は確かな店があるんだ。行ってみないか」
先輩から誘いを受けた。
江曽島という宇都宮郊外にあるその店は、黒板を張り合わせたような、地味な造りの店だった。
扉を開けると、8割方席が埋まっている。
が、ジュージューという音と、ボソボソとした話し声が聞こえてくるだけで、思いの他静かだ。
そういえば、店に入る時も、寿司屋の時のような威勢のよい声が聞かれなかったな、と思った。
席に着くと、店長とおぼしき50がらみの男が、無愛想な空気を引き連れてやって来た。
「あんた、初めてだね」
ずいぶんと高飛車な接客だ。
先輩が首を横に振るのと同時に、「はあ」と、私は相手に圧倒されて小さく答えた。
「じゃあ、あんたは何もせずに見ていてくれ。俺が焼くから」
男が立ち去った後、私は先輩に向かって軽く舌を出し、ニヤリとした。
その後、しばらく記憶が途切れる。おそらく、彼は手際よくお好み焼きを焼き上げたに相違ない。
「ああ、それからソースの付け足しは禁止だからね」
そこから、また記憶が戻ってくる。
私は、おそるおそる彼の芸術作品を口に運んだ。
一噛み、二噛み、・・・・・・。
ウム?
それまでの私は、お好み焼きとは、肉やら野菜やらをうどん粉に混ぜ焼いた、得体のしれない食べ物くらいにしか考えていなかった。
が、これはどうしたことだ。
カオスの中で、肉も野菜も生きている。
それぞれが、しっかり自分を主張しているではないか。 さらに、このソースの味は何なんだ。トンカツソースでも、うなぎのタレでもない。まったりとしているのに透明感がある。
初めての味なのに、懐かしい。
私は、自分の持っていたお好み焼きに対する先入観の、大きな誤りに気づかされた。
これもかなり昔のことだが、長男と近くのお好み焼き屋に行ったことがある。久しぶりの外食に結構はしゃいでいた息子が、店を出てからこう言った。
「パパのグシャグシャ焼きの方が、美味いかもね」
私は料理を作るのが好きで、たまにはお好み焼きのようなものを作ることがある。
しかし、私はそれを『お好み焼き』とは呼んでいない。 というのは、あの店で食べた『お好み焼き』に申し訳なく、とてもそう呼ぶ自信がないからだ。
そんな長男も、もう高3になり、ろくに飯も食らわずバイトをしている。
果たして卒業できるかどうかあやしく、何度か学校から警告を受け、先日も私宛の封書が届いている。
が、自分で専門学校を選んできて、すでに合格は内定している。
とにかく、英語は小5の弟にバカにされるレベルで、実は中3の時には、「お父さん、残念ながら県内で行けそうな高校はないですよ」と言われたほど、全く勉強をしない。
生まれた時は天才的な能力があり、まだろくに目もあけられない生後3ヶ月ぐらいの時、冗談に「チィーチィー」と言ったら、小便を覚えたすごい能力のある息子を、こんな風にしてしまったのは、私の責任である。また、ろくに飯も食えないような環境にしてしまったのも、私の責任だ。
檀一雄という作家がいた。俳優檀フミの父親だ。
彼がある作品の中で『親があっても子は育つ』と述べていた。
若い頃、その文に接した後、大好きだった檀一雄という作家を少し斜めからみていた時期がある。
というのは、欲しくとも、会いたくとも、けしてできずに虚しい思いをしている人たちを考えない、なんと自分勝手な、残酷なことを言うのだ、と感じたからだ。
しかし、今になり、少し彼の言いたかったことがわかり始めている。
私にはとても耐えられない環境の中で、長男は想像以上に大人になっていた。
最近、私は親バカ承知で皆に言っている。
「息子は読み書きもろくに出来ませんが、人間的には、とても私と比べようもないほど偉いですよ」
と。
ただ、あとちょっと、せいぜい1ヶ月に2、3時間は本など開いて欲しいところだが、まあ、あんまり贅沢は望んでも仕方ないですかな。
最近、よくガールフレンドや男友達がやってきては、夜遅くまで、場合によっては泊まりがけでゲームをしたりバカ話をしているようだ。
初めてガールフレンドかなんか知らないが、何人かの女の子たちが家に来て、夜遅くまでいたときは、私の方が緊張してしまった。
「お父さん、お母さん心配しているからそろそろ帰りなさい」と言ったものの、「大丈夫、ちゃんとここに泊まるって言ってあるから」との答え。
私が、古いタイプなのか、彼女たちの親が娘を信頼しているのか、はたまた、我が息子は安全パイ扱いなのか。
とにかく、私は理解に苦しむところだ。
クリスマスの晩は、何人かの男女の0時のカウントダウンする声が聞こえてきた。
今年も私のクリスマスはあわただしい中で終わったが、私よりは苦労を知っている長男には、私が若い時には想像できない、この年になってもちいとばかりうらやましいクリスマスを送ったようだ。
「昨日来た娘、かわいいな」
なんぞと言ったら、家では真面目一直線のオヤジてある私に、一瞬怪訝な顔をしたが、少し自慢気な口元もしていた。
「オヤジにも紹介しろ」
の言葉は、息子に張り倒されそうだから、妄想爺の頭の中だけにとどめておこう。