クリスマス・ナイツ・ストーリー | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

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クリスマスプレゼントというには、あまりにもささやかな贈り物だった。

「この家にも一枚くらい絵が欲しいわよねえ」

それが、雪子の口癖だった。

結婚して20年。 
二人とも不惑を超えてしまったが子はいない。

はじめの頃は、親戚からの圧力のようなものがあり、雪子は一人部屋に閉じ込もって目をはらしていたこともあった。

しかし、この歳になると、さすがにうるさ方もあきらめてしまったのか、あるいは、妻への遠慮からか、やっと気軽な二人生活が送れるようになってきた。 

とはいえ、ここ数年は、雪子はベッドに入ったり出たりの毎日で、たまに近くのスーパーに買い出しに行くのが関の山だ。
だから、けして明るい毎日とは言えないのも確かだが。




それは、忘年会が終わってからの帰り道でのことだった。

自宅近くにある焼肉屋が灯りを落とし、シャッターを半開きにしている。 
そのシャッターの下をくぐって、バイトらしい若者が、ゴミ袋と大きな板を抱えて出てきた。 


板に見えたのは、額のようだ。バイトは小雪のちらつき始めた夜空を見上げ、ブルブルッと体を揺すって足早にゴミ捨て場へと向かった。 


その時、ふと、雪子の言葉を思い出した。


「それ、捨てちゃうの?」


「え?ええ、まあ」

バイトは、面倒くさげに背中で答える。 


「じゃあ、もらっていっていいかな?」


「はあ?」



バイトは、胡散臭げに、初めて私の顔を見た。


「あのう、ちょっと待ってて」



彼は店に戻ったが、すぐにまた、顔を出して、 
「いいっすよ」
と、ぶっきらぼうに言った。


「じゃあ、いただいていきますよ。ありがとう」

私は、また背中を向けてしまったバイトに声をかけていた。




いささかニンニク臭のある額を小脇に抱え、そくさくと通りを右に折れた。 



雪子を起こさぬようにと、そっと玄関を開け、そこに絵を置く。


音をたてずに階段を上ったつもりだったが、雪子は薄目を開けて私を待っていた。


青白い顔が、一層くすんで見える。



翌朝は久々の休み、飲み疲れもあってか、私はすっかり寝坊してしまった。 

「雪子の朝飯」と、思って、ベッドの脇下に敷かれた布団を蹴飛ばして起きる。 



と、下から、トントントンと、小刻み良い音が聞こえてきた。


わざと足音を高くしながら、階段を降りていく。 


「大丈夫か。そんなことして?」


苦い記憶がよみがえった。


2年ほど前「調子がいいから」との雪子の言葉を真に受け、奥日光へ小旅行したことがある。

普通の人なら、ハイキングにもならぬ、軽い散歩程度のものだった。紅葉がまぶしく、久々の外出に、有頂天に見えた雪子の無理を、その時の私には見抜けなかった。


結局、帰宅してから2週間の入院を余儀なくされたのである。








「ええ、大丈夫。今日は、とっても気分がいいのよ」

包丁を握り、明るく答える雪子の声を、私は曇りガラスを通して聞いている。

「ねえ、ねえ。あの絵、どこで買ったの?それとも、貰い物?」


「えっ、ああ、あれか。なんだ、もう、知っていたのか」 


「ええ、嬉しいわ。クリスマスプレゼントでしょう。ずっとわたしねだっていたもんね」
「う、うん。まあ」

いまさら、ゴミを拾ってきたとも言えまい。私は、生返事をした。


「すごくいい絵だわ。わたしの好みにピッタリ。ねえ、早く壁に飾って」


「ああ」



私は、まだ絵をよく見ていなかった。玄関口で、チラッと目をやっただけで、ひどく白っぽい絵、くらいの印象しかない。 

久々に妻の手料理なるものを味わった後、私はじっくりと絵を見ることにした。 


それは、雪の中で、一人つくねんと立っている少女の絵だった。目は空でも眺めているのだろうか。やや斜め上に向けられている。
左手は、落ちてくる雪でもつかむように、何もない空間へ向かって差し出されていた。



私は「まずい」と、思った。子どもの絵じゃないか。それに、どうも陰気だ。


前屈みとなった私の背中を、明るい声の雪子の声が揺り戻す。

「これって、私の名前のこて考えて選らんだのね」

雪子だから雪の中の子か。まあ、それは偶然にすぎないが、妻が絵の中の女の子を、子どもとしてではなく、自分として捉えてくれたことに、私は、ほっと胸をなでおろした。




雪子は、翌日も、その翌々日も、昼間はベッドに横になることなく、その絵を眺めていたようだ。 


それから3ヶ月ほど後、地面がゆるみ草花の芽が顔を出し始めた頃だった。


その朝「行ってくるよ」とベッドに向かって声をかけたが音沙汰がない。


入院している時はさておき、ふだんなら、トロンとした目ながら「行ってらっしゃい」のかぼそい声が返ってくる。
たまには、言葉にならない時もあるが「うーん」くらいは言う。


私は、いやな予感にベッドに引き返した。








「旦那さん。今の科学では・・・」


数年前、医師から病名を聞かされたとき、いつかはこういう日がくるのは知っていた。しかし、いざそれが現実のものとなり、目前に迫ってくると、私は自分の悲しみを雪子に伝えないようにする手立てがわからなかった。 




私は、靄のかかった頭で病室に入った。


雪子の両腕にチューブが射し込まれ、太ももの間にも、痛々しいチューブが床下へと這っている。



私は雪子の額に手をやり、薄くなった髪の毛をそっと撫でた。





「あの子、さみしそうね」


夢でも見ているのだろうか。
目を閉じたままの雪子は、わけのわからぬことをつぶやいた。


「ねっ、一人じゃ、かわいそうよね」


雪子は目を開け、今度は、はっきりと私に向かって言った。



「えっ?」

けげんな顔をする私に、 


「あの絵よ。雪の中の女の子」



私の心に、鉛が流しこまれた。


雪子は、やはり気になっていたのだ。 

あの女の子を、自分としてではなく、子どもとして見ていたのだ。


私は雪子の問いに答えるすべを知らず、また閉じられてしまった目蓋に、精一杯の笑みを浮かべた。





それから1ヶ月の後、遠くの山々の雪が溶けていくのと時を同じくして、雪子もいつのまにか土中に浸み込み消えてしまう雪のように、静かに黄泉の国へと旅立って行った。




旅立ちの装束を整えるとき、皮だけになってしまった双つの胸に手をあてた。


「こんなになっちまって」





怒りに似た感情がこみあげてきて、私は獣のような声をあげていた。








その年のクリスマスイブだった。


それまでは、あえて目を反らしていた、例の絵を見た。



が、


あの絵がないのだ。 



いや、絵はあるのだが、あの絵ではないのだ。




空をにらんでいた少女の顔がほころび、目が光輝いている。


何もない空間に伸びていた掌には、もうひとつの掌が絡んでいた。 




その絡んだ手は、雪のように白く・・・・・・。




そこには、優しい笑みを浮かべた、元気だった頃の雪子がいるではないか!







「わたし、大丈夫よ。さみしくはないわ。この子も一緒だし・・・・・・」


絵の中から、そんな風な言葉が聞こえた気がした。 

「あなたも、そんなに悲しまないで。わたしは、いつもここにいるから」





急に視界が曇った。 



「そうか、お前は、そっちで幸せにしているんだな」


絵に語りかけた。 

くすんだ視界の中で、雪子がいたずらっぽくウィンクしたようだ。 








雪子のからだは、雪が溶けるように土の中へと戻っていった。



が、


その想いは、美しい雪の結晶となって、今も私の心の中で光り輝いている。





          おわり