じじばば版『有楽町で逢いましょう』 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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夏の初め、あるお嬢のお声で、うん十年ぶりの“同窓会旅行”やろうに始まり、10月初旬には、岩手の牧場巡り、盛岡での飲み会のあったことは、丁度私がブログを始めた頃で、この旅行に行けない私の愚痴やまあられは、知っている方がいらっしゃるかも知れませんね。

また、その後も、仙台での『円高後の日本の生き方を考える』ではなく、バリバリの理系研究者数人の集い『考古学研究会』に誘われたにもかかわらず出られずに、涙、涙の時間を過ごしたことも書いたと思います。


その後、3人程度の軽い食事などはありましたが、昨日は、東京近郊のじじばばだけで、軽い飲み会をしました。


まあ、昼間っから飲むので、まずは体を動かして、ということで、飲み会会場の丸ビルに近い大手町で待ち合わせです。


爺の友達は、社会人として立派な立場の方ばかり。

普通なら、彼らの小遣いにも満たない給料で、会社のゴミ掃除爺である(一応、遥か昔は、某一部上場会社の超エリートコースを歩いていた時もあったのですぞ、とむなしい遠吠えなどしておこう)などは、恥ずかしくて、なかなか参加しないのが普通なんだろうけど、そこは世間知らずの万年青年『しま爺』だから、仮に相手が上場会社の役員だろうが、仮に国会議員だろうが関係ない。



というより、私たちの仲間は、たとえ誰かが総理大臣になろうが『このボケ、アホ』と言える(周りに差し支えない状況なら)間柄だ。


で、約束の11時、30秒前、皇居大手門近くの地下鉄大手町Cの何番かに着く。


どうも、田舎者には大手町は苦手だ。出口がBの12番だのと、あまりに多すぎる。 
多分50くらいあるんではないだろうか。


あれは、田舎者は近づくな!という暗黙の指示なのだろうか。 



で、時間ギリギリセーフで着くと、呼び掛けたお嬢はおらず、N嬢。

さらには、小岩○親分がいるのではないか。

うーん、今日は両手にばば、失礼、どうも変換ミスしてしまう。両手に花のもくろみは、あっさりと崩れた。 

あるいは、親分は、危ない私の監視、付き添いで来たのやも知れない。 
彼の力で丸ビルの飲み会場所おさえた経緯もあり、うーん、仕方あるまい。



しばらくすると、呼び掛け人のサクランボ嬢と、はるばる群馬から東京見物かねてやって来たという、オバQ嬢が現れた。 
(今日は、私の姐さんであるバケちゃんが来ない。うーん、生臭坊主の企みなどないものを・・・。くっ!ちょっと寂しい)。


まずは、この男二人、元ミス何とか級の女性三人、計五人で、じじばばウォークだ。


今回初めて知ったのだが、皇居庭園に入れるとは知らなかった。しかも、ただである。 
元貧乏学生の私たちは、歓心・感心し、入場料を勝手にはじき出した。
おそらく、一般の庭園なら800円くらいとられるだろう、というのが結論だ。 
(大変失礼なこととお感じの方すみません。ただ、私たちは、旧国立大の貧乏学生で、飯を抜いたり、風呂代がなく学校のプールで代用ってなことは珍しくなかったため、ついついこんなことをしてしまいます)。


いやあ、庭の素晴らしさに驚きました。 


クヌギなどの林が、自然に見えるように、落ち葉がいかにも掃除していないような味のある手入れがされている。 


さらに、種々のツバキ、ツツジ、サクラ、ミツマタ、マユミ・・・。


各県の木々を入れると、ざっと見ただけで、百種以上の低・高木、何百種かの草々。


いやあ、へたな植物園真っ青の内容だ。 

竹にいたっては、一ヶ所にあれ程の種類が植えられているのを見たことがない。


特に、深紅の紅葉は印象に残った。更に、イヌビワやタチバナの仲間と思われる木は、初めて見た。


かつて、中国・紫禁城に不四獣?(正式名称忘れた:確か馬でも牛でも羊でも?でもない動物で、上海動物園で見たことあり。世界的に知られていなかった新種の大型ほ乳類)同様、皇居にはまだ知られていない植物があってもおかしくはない気がした。 


天守閣跡に登り、あたりを見渡すと、武道館の青い屋根がすぐ近くに見える。


振り返れば、新装された東京タワー。

今でこそ、周りは高層ビルが立ち並び、眺めは今一つだが、かつては大変な威容を誇っていたことは、考える必要もない。 


休憩所には、菊の御紋入りのお土産屋まであった。 

あるブロガーさんが、夫から素晴らしい長財布をもらった際に、コメントの返しに『しま爺、クリスマスまでに、まだ時間がある。しま爺も何か考えたら』とのアドバイスもあり、しぶしぶ、いやいや、心を込めた小銭入を選んだ。

あーあ、慣れないことをしたので、このへんで急に疲れが出てきたが、元元気印、じじばばウォークは、これにとどまらない。 

皇居を出て、多くがランニングするお堀の周りを歩き、二重橋見学。 
遠慮を知らぬじじばばは、警備員に二重橋に関して質問攻め。

いやあ、いやな顔ひとつせず、にこやかに答えてくれた警備員さんありがとうございました。また、ご迷惑を掛けました。




さあ、二時間ほどの散歩も終わり、丸ビルへ。


そこには、今日の幹事H氏と、M嬢、さらに今朝がたまで姫路にいたO氏が待っていた。



H氏は、学生時代には、名前通り栄養失調寸前の細い体をしていたが、今や横巾が二倍になり、小岩○親分と争う体躯である。 

実際、M嬢は勘違いしてしまっている。


さあ、ここからの記憶は曖昧になる。


が、中には30年ぶりの顔もあるが、まるで昨日別れたばかりのような会話となった。 

N嬢は、皆が狙っていたんだとか、M嬢、昔より若いよ(昔おばさんだったというわけじゃない)とか、サクランボさん本当に変わんない、まめでよく気づく、今回もありがとうとか、オバQ嬢髪を伸ばせば、学生時代と同じだ、などなど、けしてお世辞など言わぬワイワイガヤガヤだ。 

ちょっと場にふさわしくない連中が、昼間っから飲みほうけている。 

一応貸し切りスペースにはなっているが、一般席との間には、仕切り一枚、入り口は開けっ放しだから、周りは、うるさいじじばばがいるもんだ、と思ったことだろう。





その後、ふらつく足で地下鉄に乗り、お上りさんよろしく東京タワーへ。


すごい人並みだ。 

エレベーター待ち1時間、歩きなら展望台まで20分と言われる。



女性陣は乗り気だが、男連中の足元不安であっさりあきらめた。 



近くの喫茶店で、どれくらい話込んだろうか。

我々の騒がしさゆえにか、ほとんど貸し切り状態だった。


ここで、意外な事実がわかった。

O氏は教養部時代、あまり授業に顔を出さなかった。
なんと、彼は仕送りなしだったらしい。生活費捻出のため大変だったようだ。 
人間見た目で判断しちゃいけない、と改めて教えられたしだいだ。



その後は、また地下鉄で六本木へ。 
光の芸術を見たのだが、やはりこんなロマンチックな場所は、じじばばには場違いであったようだ。


人混みの中で、我々と同年代グループには、わずか一組出会っただけである。 


しばらく光の世界を楽しんだのち、女性陣はコンサートを聞くとかで六本木に残り、野郎どもは、アルコールが切れてきたので、東京駅近くの中華料理屋へ。 


ここで、私は驚かされた。

幹事役のH氏、表向き硬派、というよりは、一人寂しがり屋の私のもうひとつの顔を知っいた。 




恐るべし、H氏情報網。


彼は、いろんなお嬢連中の実家に行っていた。 



参りました。