その町は、ジュラ山脈とアルプス山脈に挟まれた盆地の中にあった。
レマン湖を源にしたローヌ川が、その狭い盆地を通り抜け、リヨン、アビニョンを経て、マルセイユ付近で地中海へと注いでいる。
地元のフランス人たちは、この町を“すり鉢の底”と呼んでいる。
確かに、石灰岩の山が、氷河に削りとられてU字型となった地形の底にあるから、なるほどと頷ける。
緯度は、北海道・稚内より高く、四方を山に囲まれているから、冬ともなると、昼御飯を食べてさほどたたぬうちに、夕闇が忍び寄ってくる。
パーティーも終わり、ホテルに残ったのは、ホテルオーナーのマダム・ベアトリスと、ホテル開設以来の長逗留をしている高雄だけとなった。
高雄は、キッチンで洗い物を手伝っいる。
ほろ酔い加減の高雄は、冗談を口にしながら皿を洗い、ベアトリスに渡す。
マダムとは言っても、まだ高雄と同年代だ。フランス人には珍しく酒に弱い夫は、とうに二階のベッドにもぐり込んでしまっていた。
何かの拍子に、ベアトリスがバランスを崩しよろめいた。
高雄が、とっさに彼女を抱き抱える。
と、彼女はよろけて転ぶのを避けるため以上の力で、抱き返してくる。
高雄の目には、一瞬、ベアトリスのエメラルド・グリーンの瞳の中にエーゲ海が見えた。
冷たさを感じさせるほどには高くない、やや上向きの鼻の細い鼻腔が、かすかに広がった。
高雄の中にある、良識とか自制心とかいうものが、甘いアナイスの香りと共に吹き飛ぶ。
二人は、唇を重ねたまま、シャワーしかない一階の高雄の部屋へともつれ込む。
盆地のこの町の冬は厳しい。
1日中、濃い霧に覆われ、木々は、それがこびり付いた氷で白いサボテンのようになる。
稀に太陽が顔を出した時には、木々がダイアモンドをちりばめられたように輝きだす。
排水溝から立ち上る湯気は、しばらくすると、ダイアモンド・ダストとなってキラキラと光り出す。
その夜、高雄の頭と体には、何度も何度も、ダイアモンド・ダストが降ったのだった。
翌朝、高雄はまだまどろみの中にいた。
と、二階の方から明るい笑い声が聞こえてきた。
「ねっ、私の方が素晴らしいプレゼントだったでしょう?」
「うーん、そうだな。賭けは俺の負けか。ふーむ、ロマネ・コンティとフォアグラより、やっぱりお前か」
「うふふ。ね、約束通り、今夜はベル・エポックへ連れていってね。そうそう、83年のシャブリも頼んどいて。もちろんグラン・クリュよ」
「仕方ない。わかったよ。お前のために、あいつも連れていってやるか」
「わあ、嬉しい。あなた大好き。愛してるわ」
そうか、きのうはノエル。クリスマスだ。神様が降ってくる日だものなあ。
高雄は、賭けの出汁に使われ、自尊心を傷つけられた痛みよりも、はるかに嬉しかったクリスマス・プレゼントにほくそ笑んだ。
夫の理解を超えた、妻への愛に戸惑いながらも・・・・・・。
おわり
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これは、フィクションですよ。