
年と共に、飲み方も変わってくるのは知っていたし、またそうなっていた。
若い頃は、一人で飲むなどということは考えられず、とにかく、ワーワー、ギャーギャーいいながら、うまいとは感じられない酒を飲んでは、騒いでいた。
それは、ある意味で楽しさを追求していたのだろうが、本当のところは、青年期にありがちな、孤独感と圧迫感、焦りに似た何かを忘れるためであったかもしれない。
多分、学生時代が一番酒に強かった。とにかく、日本酒なら、一升飲んでからではないと、話が始まらぬような環境にあった。
母方の祖父から受け継いだ、酒には飲まれない遺伝子のおかげで、幸いにも、私は好きでもない酒を、人並みには飲めていた。
周りにいた女性陣に、私以上の酒豪が多く、酔って醜態をさらけだせない、という意識もあっただろう。
社会人になって3年を待たずして海外勤務となる。
ここでは、また違った飲み方、雰囲気となるが、この辺のところは、勝手に想像願いたい。
簡単にさわりだけ述べておくと、中国では、今では信じられないだろうが、上海ジャズ発祥の地、和平飯店地下でさえウェートレス禁止、いかついおっちゃんがゴトンと青島ピッジュ(チンタオビール)を置いていく。へたに酔って南京路(日本なら銀座、みゆき通りに相当)あたりを徘徊でもしたら、確実に公安警察の尾行を受けた。
東南アジアに、独身者が滞在したらどうなるか。
まあ、想像におまかせするが、私のように清廉潔白、品行方正である者には、夜の世界はよくわからないから、あまり詳しいことは話せない。
ただ、歩いても十分足らずの店に、わざわざ車で訪れ、酒酔いアッシー君を繰り返したり、ベタベタ応対に飽きて、膝に手でも置こうものなら、きりりとにらまれるような店が新鮮に感じられ、バカ高い店へ飲みに行き、だまされ承知であれこれ買ってあげたりなどは、おそらくしていなかっただろう。
最近は、仕事が忙しいこと、経済的に難しいこと、体調が芳しくないことなどから、ほとんど酒は飲んでいなかった。
経済的に、多少のゆとりができれば、おそらくチビリチビリ一人でやるんだろうなあ、とは思っていた。
が、今、全くの予想外の飲み方をするようになりつつある。
一人であって、一人ではない酒を飲んでいる。
皆さんなら、お分かりのはずだ。
ブログ仲間との話をしながら、一人でチビリ、またチビリとやっているのである。
我がブログ飲み友達の皆さん。
ありがとう。
発泡酒やカンチュウハイだが、皆さんのおかげで、うまい酒が飲めています。
これからも、よろしくでごわす。
敬白