
この問いの意味が理解できるか否かで、およその年代が予想できる。
ドラえもんは、海外にまで輸出されている、アストロボーイ(アトムはアトミックボン原爆をイメージさせるため、海外ではアストロボーイと改名した、鉄腕アトムのこと)と並ぶ、日本を代表するコミックだ。
しかし、コロ助はそこまでメジャーではない。
1990年代にはやった『キテレツ大百科』の主人公で、江戸時代の先祖が残した文書を手がかりに、なんでも発明してしまうという役らしい。
この時代、私は大手進学塾の講師、必殺公募人、時事いろは歌の島ちゃんの顔を持ち、子どもが小さかったこともあり、このキャラクターをテレビで見た記憶はない。
しかし、どうも、かなりの人気番組だったようだが、広告代理店がらみで、突如制作中止となったとの噂がある。
真偽は定かではないが、部外者である私などが聞くと、消費税据え置きで社会福祉の充実を計る、という政策よりは、はるかに理解しやすい。
もし、江戸時代なら、中身も知らぬことを語るのは不届き千万、即刻打首か遠島、よくても江戸処払いを言い渡される。
が、幸い世は平成。インターネットという強い味方もある。
ここは、いかにも見ていたような話にしてしまおう。
世の中に、一人二役、つまり、一人の人間が、複数の名前を使い分けることは、よくあることだ。
ブロガーの中にも、複数のハンネを持っている方も少なくないだろう。
しかし、複数の人間が一人のようにふるまうことは、時代劇の影武者や推理小説などを除けば、まず聞いたことがない。
『キテレツ大百科』や『ドラえもん』、あるいは『笑うせいるすまん』を制作した、藤子不二雄は、その例外的存在だろう。
藤子F不二雄が体調を壊し、藤子不二雄Aが独立するまで、この二人は二身一体だった。
二人は、子どもたちばかりか、大人にも少なからぬ影響を与え、ポケモンという、超モンスターキャラが日本を、世界を支配するまでは、ぬいぐるみにしろ、おもちゃにしろ、常にトップの座にいたものだった。
日本経済の潤滑油の一部をになっていたわけだ。
なぜ、それほどに皆に愛されているのだろうか。
それは、庶民感覚と大きな関連がある。
テレビ時代劇『必殺シリーズ』は、世の中の矛盾をはらしてくれる仕掛人に、己が恨みを投影させ、その結末に心の中で拍手をおくっている。
早い話が、『水戸黄門』の別バージョンだ。
一方、『キテレツ大百科』のコロ助や、『ドラえもん』は、庶民のかなわぬ夢を、平々凡々の日常の中で浮き立たせた。
あり得ない、とわかりつつも夢を追う。
これは、人間の特徴だから、両者とも長く、多くに愛されているわけだ。
そうした点は、ジャンボ宝くじを買う心理に似ている。
コロ助がドラえもんに代わろうが、本質は同じものなのである。
昨日は、ドレス姿だったが、今日は和服に着替えた。
まあ、そんなところだろう。