
さあて、またまた困った。どこから話していこう。
とにかく、思いつつまま綴っていくから、いつもの如く、とんでもない方向に飛んで行ってしまうかもしれない。
よく覗いてくださっている方なら、「またかいな」と笑って許してくれるに違いない。
私のブログを見てくれるような酔狂(あるいは粋狂)者は、それくらいの度量のある方たちばかりである。
(と、あらかじめ持ち上げ、逃げ道を作ったぞ。よしよし)
さて、私に足りないものの話だが、まずは、社会人、サラリーマンとしての基礎知識、いや、基礎認識だろう。
どういうことかというと、社会的に高い地位にあるとされる方に対して、その名称だけでは敬意を感じないということだ。
(中身が伴う場合は別である)
これは、サラリーマンにあるまじき姿であり、かつ致命的欠陥である。
そんなだから、私が大学卒業後、初めて社会人となった会社では、新入社員に毛が生えた程度の私は、本社専務と口に泡を飛ばしながら長い国際電話をしたこともある。
(この方は、私が最も尊敬する人物ベスト10に入る方で、私にとっては第四番目のオヤジのような方だ。だから、言いたいことを思いきり言えたこと、相手に若造の真っ直ぐ過ぎる意見を、じっくりきける腹の大きさがあったからではあるが)
この感覚は、サラリーマンとして致命的な出世欲の欠乏、いや、欠損という、もうひとつの“私の不足しているもの”につながっていく。
この春のことだが「名前ばかりで中身が伴わないならいりませんや」てなことを言ったら、しっかり二階級下げてくれた。そういうところは、会社の実行力を尊敬しなければなるまい。 「いや、肩書なんざ全部とっちまってくださいよ。へたに余計な尾鰭いりませんや」と言ったが、どうも外聞みたいものがあるようで、それはできないようだ。ただ残念なのは、これを関係者に公表していないことだ。
外部から旧役職名みたいのでメールが入る度、私は粉飾決済でもしているような、困った気分になる。
何故表に出したがらないのか、多少はわかる気もするが、もし私の予想が正しいなら、潔くないことではある。
さて、私は今笑いこけてしまうような貧しさ(経済的なものに限らず)の中にあるが、一方で、なかなか得難い強運の持ち主でもある。
あと一歩で命を亡くしていた、という経験が、私の記憶にあるだけで数回挙げることができる。
よく、テレビや映画で、危機に陥った時に、スローモーション、つまり、時間がゆっくり進む場面があるが、あれは正しい。
私も1秒前後の時間が、10秒くらいに長く感じられた経験をしている。
おそらく、生死に関わる重大な場面では、脳がフル回転し、一挙に通常の何倍かの情報処理、指令を行うため、通常の時間より間延びしたと感じてしまうのだろう。
生まれた時も、半死半生状態で、私の記憶に残る三、四歳になるまでにも、相当周りを心配させたらしい。
しかし、そんな強運に恵まれながらも、くじ引き運みたいものは、驚くほどない。
例えば、会社の宴会などで当たったのは、何十あるなかで2回だけだ。だから、逆に最初から安心してくじ引きなり、ビンゴなりを見ていられる。
まあ、宴会のくじ引きやビンゴを血眼になる方はいないのでしょうが。
だから、勿論宝くじも当たりません。
いや、当たらない自信があるから、最初から買ってはいませんがね。
えっ?
女運は、ですか?
うーん。
素晴らしくいい
ってことにしておいてくださいよ。
そうしないと、
わかりますよね。
そういうことにしておいて、
ください。